協同組合に「協同」と「地域」を
私は、本書について既に『日本農業新聞』(08年11月24日付け)で書評を試みている。しかし、紙幅が限られていたし、本書は大冊なので、違う角度から再度俎上に乗せてみる。
著者は学生時代から生協運動に関わり、生活問題研究所、生協総合研究所を経て、現在は広島大学で食料市場学などを教えている。長いこと生協に関わってきて、最近の生協には「協同」や「地域」の視点が欠けているのではないか、という問題意識から、タイトルを「地域づくりと協同組合運動」、サブタイトルを「食と農を協同でつなぐ」とした、と見た。
そのことは、「はじめに」で触れられている。著者はまず現在を、「大きな地域再編の歴史段階にある」と措定する。そして、大きな地域再編期には、すぐれた協同組合実践が生まれてきたとし、ロッヂデール組合や我が国の市民生協の誕生などを例に挙げている。
しかし、最近は生協も農協も、地域から次第に離れてきているのではないか、市場競争に巻き込まれ、効率化を求められ、協同組合の組織・事業が再編され、協同組合の変容へ進みつつあるが、それは即ち脱協同組合化の道ではないか、と問うている。そして、「協同組合の土俵は市場ではなく、地域であり、組合員のくらし。個別化・孤立化の進む組合員のくらしを支援し、地域で協同を育む」ことに協同組合の未来はある、というのが著者の問題意識である。
本書は4部12章から成っている。ここではそのすべてを列挙できないが、地域づくりの新展開と協同組合運動、協同とは何か、「日本型食生活」の変貌と食卓からの協同、「食の農からの乖離」と地産地消運動の今日的意義、産直論の系譜、地域づくりと直売市、生協運動の現段階、地域における協同の再生と協同組合運動、など興味をそそるタイトルがずらり並んでいる。
その中で私が特に関心を持って読んだのは、「『日本型食生活』の変貌と食卓からの協同」だ。
もともと食の基本は、家庭内で(誰かが)食材を調理し、料理にし、食卓に並べ、家族が一緒に食べることだった。その繰り返しはくらし(生活)の一環だった。
しかし、資本主義の発展につれ、食の近代化・現代化が進む。それは「食の社会化」ということであり、炊事における下処理、調理労働が社会化する過程である。働く女性が増えれば、家庭内の炊事労働の商品による代替が進む。そして、冷凍食品、中食、外食の普及・進行は家庭内の台所を不要とするところまで行く。必然的に農は工業化し、食と農の乖離は一層進む。行き着くところは例の中国発の毒ギョーザ事件である。
このような整理の仕方は、私にとってはまさに「目から鱗が落ちる」ものだった。
もうひとつ。「食のグローバル化・工業化が進み、食品・企業不信が深く進行する今日、もう一つの信頼回復の社会システムがある。それは地産地消運動であり、地域の食材の復権、食文化の再創造、食卓をめぐる家族関係や食につながる人の交流と信頼関係づくり、農の見直しにつながり、地域づくりの一環である」、という整理は、私たちが現在ひたちなか農協で進めている直売所、学校給食を基本にした地域循環型農業振興方策の進め方に合致するものであり、我が意を得たり、の思いでこのくだりを読んだ。
これらの他、「生協運動の現段階」、「新しい生協像の模索」などは今日の生協の矛盾点とその因って来たるゆえんをきちんと整理し、今後の方向を示している。農協に身を置き、農協の現状を憂うる一人として、「人の振り見て我が振り直せ」だ、と思いながら読むことができた。
総じて、本書はスケールの大きい協同組合論であり、現場で苦闘している者にとっても有益である。