農村から激動の昭和史を証言
本書は、映画プロデューサーとして著名な筆者の壮絶な青春時代の物語である。副題に「馬とともに生きた戦時下農村少年の青春期」とあるが、信州伊那谷の農家に生を享け、中国北部(旧満州)で過酷なまでの環境を生き抜いてきた多感な少年の記録といえる。
幼児期から戦後の引き揚げまでの馬吉の生き様が、馬との心の交流を太い縦糸とし、昭和恐慌、満州事変、日中戦争、太平洋戦争など激動の社会情勢が横糸として絶妙に織り込まれている。
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まず、馬吉という名は通称であって物語の中で本名は村谷吉造(きちぞう)とある。赤子のとき、叔父の武十が飼っていた荒馬の足にしがみ付いて立ち上がったことから「馬吉」といわれた。この馬は、気性が荒く飼い主の武十にしか気を許さない馬だったが、幼児の馬吉(吉造)に足を掴まれた時に、長い首を差し伸べて鼻先で立ち上がるのを助けた。馬に好かれる天性の資質が馬吉に備わっていたのだろう。叔父の馬を初めとして、折々に物語に登場する馬との心温まる交流が綴られている。
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馬吉は、昭和4年(1929年)10月24日(木)に万蔵とあさ乃の次男として誕生した。1月早い早産だったが吉造と名づけられ、自立心の強い元気な子に成長する。ときあたかも、米国ニューヨーク・ウォール街の株式大暴落で、全世界が深刻な経済危機に陥り、日本経済も金融恐慌・農村恐慌が連鎖的に発生し深刻な打撃をうける。
馬吉の父・村谷万蔵は伊那地方有数の種繭養蚕業経営者であったが、生糸相場の下落で倒産する。村谷一家の苦悩が、いわゆる昭和恐慌の世相とともに克明に記述されている。本書が刊行された昨年の暮れは、米国に端を発した世界的金融恐慌、経済不況が始まった。馬吉の生まれた時が、不況のどん底にあったことに想いを重ねると因縁じみた感がする。
馬吉が小学校5年生になったとき、父万蔵は借金をしてかねて目をつけていた「紅鹿毛」の子馬を「馬市」でせり落として馬好きの息子に与えた。馬吉はこの馬に「チビ」という名前をつけて懸命に飼育・調教し立派な農耕馬にする。この時期、日本は軍国主義全盛時代の戦時体制下に在り、戦争反対者は思想犯として逮捕された。思想犯容疑で拘留された旧制高校生の兄をもつ「雅子」という同級生との淡い恋を経験する。ところが、雅子の家族を「チビ」に牽かせた馬車で逃亡させた罪で、馬吉は満州に流刑され、「満蒙開拓青少年義勇軍」の馬飼育係となる。北満の地でクセの強い軍馬「青」の世話をした。
1945年の夏にソ連軍が満州に侵攻し、満州の開拓団や青少年義勇軍の悲惨な逃避行が始まる。北満から南下する開拓団の避難民の多くが、ソ連軍、中国人暴徒などの銃撃や飢えと寒さで死亡した。また、幼児を中国人に預ける親も多かった。悲惨な逃亡の旅で、里子という少女の家族とともに死線を彷徨するが総て死別する。
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馬吉は、苦難の末に撫順に辿り着き、ここでも中国人の飼育する栃栗毛の軍馬と遭遇し、石炭運搬の仕事で生きながらえた。葫蘆島(コロトウ)から敗戦翌年の初夏に帰国する。故郷では、祖母や両親などに涙なみだで迎えられ、「チビ」との感動的な再会を果たす。
激動の昭和史の証言として、戦争と飢えを知らない若い人たちにお勧めしたい良書である。