環境の生態史観・花粉が語る歴史
先ず扉を開くとそこに現れる口絵に驚く。中国湖南省城頭山遺跡の空中写真は円形城壁をくっきりと今に留めている。これが稲作農耕の発展を背景に長江中流域に誕生した約6700年前の都市型集落跡という。
本書は黄河、インダス等旧来の古代文明を「畑作牧畜文明」と位置付ける。そして口絵写真に代表される文明を「稲作漁撈文明」と名付けてその存在を実証し、前者と対比する。従来稲作文明の歴史はせいぜい数千年と考えられてきたそうだ。だが長江中流域に発見された稲作文明は1万4000年前まで遡り、中国最古の都市型集落を誕生させていた。長江文明の発見である。
そもそも「稲作漁撈文明」とは何か。著者は「モンスーンアジアの多雨地帯にあり夏作物の稲を栽培し魚に主たる蛋白源を求める文明」とする。そして文明の発生発展の端緒・契機に気候変動を据える。
古気候の観測を可能とした「年縞」(世界各地の湖沼や潟のボーリングによって得る連続した堆積物)分析が有効性を発揮する。年代の特定、草木花々の花粉の増減は、何時どの時代に環境が寒冷化・乾燥化したか、あるいは温暖化したかを鮮明に示す。古気候を復元してみると数十年といった短期間にも劇的な変化が生じていたことも分る。「畑作牧畜文明」も「稲作漁撈文明」も地球規模で生じた気候変動によって発生発展し消滅した。
こうした実証過程は門外漢にも大変理解しやすい。著者はこれを梅棹忠夫氏にならい「文明の環境史観」と呼ぶ。この気象変動が森の民である長江中流域住民に農耕を促し、黄河文明・畑作牧畜の民をして民族移動に駆り立てた。長江文明の担い手達はそれに追われて海洋や南方に移動し、日本へも海から直接到来した。縄文遺跡に見る長江文明との共通性は両文明の交流を物語るし、縄文から弥生への変遷も理解しやすい。
これほどまでに実証的な論述を展開する著者であるが、本書には不思議な特徴がある。随所に顔を出す考古学会向けの著者の勘考である。どの学会にもゴシップの類は付物であろうから、興味をもたれる向きには面白いかもしれない。併せて「どうして此処にこの論述が置かれるのか」と悩む箇所がそこ此処に。主にマルクスの影響を受けたと著者がみなす誰彼や物事への批判であるが、その度にマルクスが引き出される。「マルクスはそんなこと言ったかな」「反論できないマルクスは気の毒」も率直な感想である。