■アフリカの現実
かつて全農現役時代、ブラジル移民の邦人農協経由で紙パック入り液体コーヒーの開発を事業体験したことを思い出す。飲料開発分野だったが、「おいしいコーヒー」とはなにかはあった。だが「コーヒーの経済論」はまるでなかった。そうした難題に挑んだのが本書である。副題「『キリマンジャロ』の苦い現実」は言いえて妙。
著者のフィールドワークの原点はアフリカのタンザニア・キリマンジャロ。万年雪をいただくアフリカ最高峰(5895m)「神の山」。なつかしい映画「キリマンジャロの雪」を思い出させる。アフリカ論であり、経済論である。現職は京都大学准教授で農学博士。
先ず産地事情。1996年から、毎年ホームステイで、現地調査した。その西斜面(標高1500?1700)、ルカ村(世帯数355戸、人口1483名)である。これが説得力ある諸データの背景である。現地写真が農村生活の臨場感を醸し出す。コーヒー園を営む小農業生産者。ブラジルの大コーヒー園とはまるで違う。
さらにバナナ、トウモロコシ、牛乳などの副生産物生産と一夫多妻制生活。否応無しのアフリカ経済の現実だ。そもそもコーヒーを喫茶しない、飲まないのに生産するのだ。厳密に言えばコーヒー用チェリー(果肉つき)という原料生産である。圧倒的に農薬使用料がコストの中心を占めるという。著者は矛盾を浮き彫りにする。
■フェア・トレードの視点
第2は原料豆の加工工程。原料チェリーの果肉部分を水洗で取り除き、コーヒ?用青豆として、市場取引用に10段階にランク付け取引される。
ここでコーヒー輸出入専門の国際資本が登場、決済される。タンザニアの港から海上輸送によって1ヶ月、日本に上陸する。輸入商社から焙煎業者に渡り、最終商品となって、一杯のコーヒーになる。基本価格はドル建てニューヨーク先物価格で、国際相場商品そのもの。詳細なデータ分析があるが、その検証は、とても手に負えないので、結論を紹介する。
1998年の場合、日本の小売店で800円/200gの焙煎キリマンジャロは、38・5円が生産者取り分だという。喫茶店ならば、一杯450円の「キリマンジャロ」を飲んでも2・0円の生産者取り分だという。コーヒーのフードシステム論が生きる。7割の生豆部分、2割の焙煎部分、1割の抽出技術、それに国際為替変動という難物を混みにして、なおそれでも生産者価格が実に低い。だからタンザニア現地経済はコーヒー農業だけでは立ち行かない。そういう現実に遭遇しているという。
疑問もある。そもそも200℃を超える焙煎段階で、原料豆は姿を変えていないか。さらに熱湯で抽出してコーヒーにする過程は、牛乳の単純殺菌工程とは違うからだ。
第3はフェア・トレード(公正貿易)論である。原料生産者の不利な状況を変える市民運動である。通常貿易で最低輸出価格の保障をはかる以外に、プレミアム支払い(10セント/ポンド)を追加するのだという。日本では全く耳慣れないから、そういう運動が少しずつ広まっている世界の大勢を知っておくべきであろう。生協運動が世界から安い農産物を買い漁るのかという反省がある。だから「国際産直」をフェア・トレードと位置づけたり、堂々「民衆交易」運動に進む国際関係事業もある。注目してよい。本書は、その事例も紹介する。
最後に「おいしいコーヒー」論である。本書第一章もこれ。ブルーマウンテン、モカ、キリマンジヤロが人気の高い3銘柄として形成される背景である。家庭消費にレギュラーコーヒーが普及する分だけ、スーパー店頭でこれらの価格形成になった。類書には、嗜好品らしい天才的抽出技術者が踊る。そこではイメージのキリマンジジャロしかない。
コーヒーは底深く、日本茶とは別の意味で複雑だと認識した次第である。