09年7月20日付本紙「提言」。パルシステム生協連合会の若森資朗理事長発言に注目した。「あらたな社会システムの見通しを立てるに至っていない。いまこそ価値創造として、協同の精神を基礎にすえた取り組みを」という。そして賀川豊彦を引例する。賀川豊彦(1888〜1960)が神戸のスラム街に救民活動に入った1909(明治42)年から数えて100年目。昨年来、日本生協連などが賀川の協同組合運動に尽くした業績を振り返ろうとして全国的記念イベントが展開しているからである。そこで本書を紹介する。一環としてタイムリーな出版といって良い。熟読、論議する価値がある。まず本書の章立てを引用する。実に1935年〜36年の訪米講演の英語テキストが原典である。
序文
第1章 カオスからの抜け道はあるか
第2章 キリストと経済
第3章 唯物論的経済観の誤り
第4章 変革の哲学
第5章 世々を貫く兄弟愛
第6章 現代の協同組合運動
第7章 兄弟愛の行動
第8章 協同組合国家
第9章 友愛の基づく世界平和
では本書の特徴はなにか。
第一は、1936年英語版出版の世界的背景である。33年ドイツではヒトラーの政権掌握があった。アメリカはニューディール政策によって経済危機打開の最中である。そして日本。1936年2・26事件の勃発に象徴的だが、農村の疲弊に青年将校が憤激、国家転覆の行動が起きた年にあたる。賀川の信念はアメリカで爆発した感がある。「協同組合国家」論に及んでいるからである。序文にいう。本書の全体が見える。「20世紀には、物質主義的資本主義と物質主義的共産主義は共に放棄されなければならない」。
第二。世界の協同組合の動向に多く触れていることだ。単に西欧に限らない。オーストラリアまでいたる。その世界情報の収集力に驚く。勿論1935年当時、戦前の産業組合運動も世界に窓を広げていた。それは例えば産業組合中央会編集の『産業組合』に紹介された。1937年第15回パリ大会には、産業組合中央会から金井満主事、産業組合中央金庫から窪田角一主事が出席した。日本はこうして、戦乱混乱のなか、ICA(国際協同組合組織)からの離脱は、実に1940年8月20日打電によってだった。
第三。賀川思想の限界である。1936年当時、都市消費組合は政府援助の全く無いまま、各地組合の自主活動が一層社会運動として先鋭化した。弾圧の嵐に耐えながらの活動は関東消費組合連盟(関消連)が代表格である。一方、賀川の創立した神戸消費組合、灘購買組合、吉野作造が創立した東京の家庭購買組合をはじめ、全国各地の職域組合などは、必死に活路を求めた。1938年早々、関消連の自主解散になった。最新の日本生協連の公認『現代日本生協運動史』(2002.6)は、この部分の記述がいかにも辛い。こうして、記述は「解体声明」の引用で締める。実に悲しい。怒涛の中国・満州侵略の波に、日本の生協運動は、なすすべもなく、敗戦まで破局に抵抗できなかった。
「信条や教義とともに、社会での贖罪愛の適用が必要なのである」。「生産者と消費者の間の溝を兄弟愛をもって架橋しなければならない」。
ともに本書にある賀川思想である。今日に至る協同組合思想といってよい。「贖罪愛」など理解困難であろう。
訳者の一人、加山久夫氏は「訳者あとがき」で、「本書は、米国での講演であり、しかも、キリスト教の背景をもつ聴衆に語られたものであるので、その多少の違和感があるかもしれない」と慎重である。そのことを含め、賀川の難点も含めて読むべきであろう。