なぜ?と思いやる寛容を説く
わたくしには2歳違いの兄がいる。兄とわたくしとの父親感は全く異なる。
まじめな努力家の父は戦中、満州派遣の部隊から選ばれて陸軍獣医学校へ入学。卒業時には東条英機内閣総理大臣よりの懐中銀時計を貰っている。在学中に母と出会い結婚。満州へ戻っての下土官候補者教育隊でも恩賜賞と時計を。戦後は捕虜としてシベリヤへ。第1回目の帰還で帰国。 これは、’97年亡くなってから出てきた父の綴りからひろったもの。戦争責任についての識者の発言や明らかにされたことの新聞の切り抜き等も。獣医学校の賞状はまるめてあった。幼い頃、兄の食事中の箸づかいを厳しく諫めた父の姿を鮮烈に覚えている。50年以上も前のことだ。兄とわたくしは、母が結核で入院したため、小学生で富山県魚津市の父の家を離れ、東京の母の実家から大学まで通い、そのまま現在も東京で仕事を続けている。富山の父が晩年、入院したときの兄の遠遠しさ、没後の残された家への無関心は、幼い頃の父との関係が影響していたからではないかと、本書を読んで思い至った。
◆メディアと犯罪
各局のテレビのワイドショーで繰り返し流された畠山鈴香の憤怒の形相。奪われた幼い命は、娘の彩香さん、隣家の豪憲くん。容疑者は誰かの確証もつかぬうちから、そのふるまいの猛々しさへの嫌悪をあおる映像。
ああまたかと思いつつも、メディアの影響力は大きい。彼女が逮捕され、「やっぱり」との感想をもたれた方が多かったのではないか。そしていたいけな子供2人を殺したのだから、当然極刑だと。豪憲くんの家族の方々の行き場のない怒りと絶望をなだめるすべはあるのだろうか。
本書は『自動車絶望工場』、新田次郎文学賞の『反骨 鈴木東民の生涯』、毎日出版文化賞の『六ヵ所村の記録』等の作品があるルポライター鎌田慧さんの最新刊。「畠山鈴香事件」の発端(2006年4月9日、彩香ちゃんの死)から2009年4月8日(高検の上告断念)までのルポルタージュ。わたくしにとって終っていた事件が、兄と父の関係を思い出させ、読後には子連れで離婚した同じシングルマザーとして「畠山鈴香」はわたくしであったかもしれないとまで感じさせられた。
◆知られざる過去
本書の第三章「犯行への長い導火線」では彼女がさらされた残酷な悪ふざけの言葉の暴力のあれこれが…。その一例、高校の卒業文集には「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」「秋田から永久追放」と。小・中学校での身体に、精神に受けたいじめの酷さ。加害者はからかっただけと言うが…。また、見すごせないのは父親の家庭内暴力。母親へ、そして彼女へ。小学生の頃からである。平手打ち、足蹴、髪を引きずりまわす…。精神的な弊害は測りしれない。精神鑑定では「解離性人格障害」「広汎性発達障害」と判断されている。
裁判員制度がはじまっている。著者は最後にわたくしたちへ問いかける。「罪は裁かれるとしても…、『なぜ、彼女が罪を犯してしまったのか』、それを思いやる寛容が必要とされている」と。