「ほしいも」が教える暮らしと経済
かつての暮らしに密着していた「ほしいも」。だが意外にもその歴史は短く百年、いま生産の九割を茨城県が占めるそうだ。この「ほしいも」をその持つ社会経済的背景の下に描く、これが著者の狙いである。本書は甘藷の伝播、改良、生産加工、流通、消費を時代と共に描ききる。暮らしに欠かせない食物であったにも拘らず、まとまった著作がない、これが茨城在住の著者をして本書を公刊せしめた動機という。時宜を得、人を得た書である。
たかが「ほしいも」されど「ほしいも」。他の商品作物のようには目立たないが、これほどまでに社会的経済的条件に組み込まれていたのか、これが第一の感想である。
まさに著者の意図にはうって付けの題材で、品種改良への努力、技術の発展と伝播、戦争もあれば統制経済もある。協同の試みや品質保持の努力等、経済学の教科書たるに相応しい。
それにしても驚いた。西暦二千年代の今日に存在する問題のすべては「ほしいも」の百年に出現している。輸入品との競合、需要の減退や買い煽り、軍事基地用の土地取上げまである。戦時下「ほしいも」製造は禁止され航空燃料に、これはバイオではないか。
心に残ったのは「ほしいも」の百年が、生産も消費も貧困と共にあったことだ。生産側は貧困からの脱出を副業たる「ほしいも」に求め、商品たる「ほしいも」は製糸、機織女工や農繁期の農家、ニシン魚場等々に売られていった。調理の手間なしで労働の合間にそのまま口に入れられ腹持ちも良い。「ほしいも」はわが国の苦汗労働と共にあったのだ。
この商品流通を支えたのが従前に成立していた各地の多様な商品の流通ルートであったこと、製造過程で出てくる残滓と養豚とのつながり等々に心から納得した。かつての村々には観察し考え工夫する科学的精神が満ち満ちていたことも分かった。この底力の継承と発展の責務に、いまの村々は答えられるであろうか。