1960、70年代の労働運動、春闘華やかな時代、政府はベ・ア要求の根拠となる年末、年始の物価を抑えるために主要野菜の白菜、大根、キャベツなどの高騰対策として「秋冬期重要野菜」の生産・出荷・価格安定事業を行った。
また、1970年代の後半から80〜90年代の輸入自由化、コメの生産調整による野菜、果実の生産、出荷をコントロールするための価格安定対策としての「果実生産振興対策特別事業」、「重要野菜需給調整特別事業」などが、具体的にはどのようにして農家の段階まで巻き込んだ全国ベースの生産出荷のコントロールをする事業であったかを、価格変動の典型であるレタスやピーマンの例で詳細な資料による解説をされている。
現在からみると既に“昔話”となってしまった農協の果たした役割の記録である。
さらに、現在も野菜、果実の取引の基準価格・建値となっている東京都の太田市場が秋葉原にあった神田市場から移転をした前後の様子や、1968年にオープンした全販連の生鮮食品集配センター(現在の「全農青果センター(株)」)が日本で始めての本格的な“市場外流通”としてスーパー・マーケットからは期待をされた反面、既存の卸売業界からは反対をされた事情などを当事者の座談会という形でわかりやすく書かれている。
野菜、果実の生産・流通政策と農協組織の対応についての貴重な記録書である。