岐路に立つ供給管理と
農産物マーケティング・ボード
◆TPP交渉に参加表明したハーパー政権
カナダのハーパー政権は今年6月にTPP交渉への参加を表明した。昨年の総選挙でハーパーの保守党は単独過半数を獲得し、それまでの少数与党の不安定な立場から脱した。
この総選挙で、2大政党の一方の自由党は激減し、中道左派の新民主党が初めて野党第1党に躍進した。連邦議会での安定多数を背景にハーパー政権は、新自由主義にそった政策をひたすら推進している。
農業関係では、カナダ小麦局の一手販売・輸出国家貿易を廃止し、8月1日から新制度に移行した。ハーパー政権がめざす方向からみるとTPP交渉参加はサプライズではない。とはいえ、カナダ農業で重要な役割を果たしている供給管理制度の取り扱いが大きな問題になる。
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著者=松原豊彦氏
◆乳製品、鶏卵、家禽肉の供給管理制度と国境措置
TPPは農産物も含めてすべての関税撤廃を原則としている。
ところが、カナダ農業にとって重要な乳製品、鶏卵、家禽肉は、供給管理制度によって全国的な需給調整を行い、農産物価格を安定化させてきた。供給管理制度は国境措置と表裏一体の関係にあり、加米自由貿易協定とNAFTA(北米自由貿易協定)のもとでも貿易自由化の例外品目として輸入割当制を維持してきた(米国も乳製品、砂糖などをNAFTAの貿易自由化例外品目としてきた)。
1995年以降はWTO(世界貿易機関)協定のもとで関税割当制に移行し、国内消費の5%程度にあたる低関税率輸入枠をこえる輸入に対して、高率の二次関税率を課してきた。牛乳241%、バター298.5%、チーズ245.5%という高率関税である(表1)。
TPPに参加して関税を撤廃すれば、現行の供給管理制度は維持できなくなる。なぜならば、外国から安価な輸入品が流入すれば、国内市場は供給過剰となり生産者価格は下落するからである。カナダの供給管理制度と農産物マーケティング・ボードは重大な岐路に立っている。
本稿執筆の時点で、カナダのTPP交渉参加にあたって米国等との間で供給管理品目の扱いについてどのような議論がされたか、情報が公開されていない。とはいえ、カナダがTPPに参加するさいに、供給管理品目が大きな焦点になることはまちがいない。本稿では、供給管理と農産物マーケティング・ボードの概要を紹介し、この問題の背景を理解するさいの一助としたい。
◆供給管理とボードの仕組み
カナダは有数の農産物輸出国であり、とくに小麦、ナタネ、豚肉などの輸出では国際市場で大きな位置を占めている。その一方で、国内市場中心の乳製品、鶏卵、家禽肉について全国的な需給調整を行っている。これを供給管理といい、農業経営者への生産割り当てによって農産物の需給を調整する仕組みである。
2008年のリーマン・ショックに端を発した経済不況のなかで、乳製品の需要が落ち込み、過剰生産・在庫積み増しによりEU、米国などの乳価は下落した。ヨーロッパの酪農団体からは、カナダの生産者乳価が安定していることに関心が寄せられた。カナダでは供給管理が機能して、乳製品の過剰生産を回避し、価格が安定しているからである。
供給管理を実施しているのが、農産物マーケティング・ボードである。これは農業生産者によって運営される販売組織であり、政府機関ではないが、特定の農産物を生産・販売するすべての生産者を拘束する権限を法令によって与えられている(そこが協同組合とは異なっている)。
マーケティング・ボードはいくつかの類型に分けられるが、ここでは供給管理型ボードにしぼって述べる。
供給管理型ボードの特徴は次の点にある。
第1に、全国的調整機構による販売計画の確立と運用である。全国的調整機構が毎年の総供給量目標を設定し、各州のマーケティング・ボードに配分して供給過剰になることを防いでいる。
第2に、州のマーケティング・ボードによる個々の生産者への販売量の配分である。この配分は生産者が保有する割当(クオータ)をベースに行われる。割当は一定量の農産物を販売するための権利であり、生産者間で売買することができる。 第3に、生産費基準による価格決定である。供給管理型ボードの農産物価格は、サンプルベースの生産費調査を基礎に、需要変動などの要素を勘案してボードが決めている。
第4に、右で述べたように輸出入管理と一体になって運営されている。国内市場で需給調整のメカニズムが機能するには、輸出入管理が必要である。
◆酪農の供給管理の仕組み
とくにカナダのTPP交渉参加で問題になると思われるのは酪農である。酪農の供給管理は生乳と加工原料乳とで仕組みが異なっている。生乳は各州の牛乳マーケティング・ボードが需給調整を行うが、現在では東部5州(ケベック、オンタリオなど)と西部4州の2つに分かれて、牛乳販売価格のプールを実施している。
加工原料乳は、1966年設立の連邦政府公社のカナダ酪農委員会(CDC)が中心となって、全国的な需給調整と価格決定を行っている。CDCと各州代表がメンバーであるカナダ牛乳供給管理委員会(CMSMC)が、全国牛乳販売計画によって加工原料乳の全国生産目標を毎年策定する。各州への生産目標の配分を示したのが図1であり、ケベックが45.4%、オンタリオが31.4%と主産地の2州で全体のおよそ77%を占めている。
カナダ牛乳供給管理委員会は、加工原料乳の供給管理における全国的な調整機関である。委員会のメンバーはCDC(議長)、各州の生産者代表と州政府代表であり、全国消費者団体、加工業者団体、生産者団体の代表がオブザーバーとして参加している。
CDCはバターと脱脂粉乳の買い入れを行っている。CDCの買い入れ価格は加工原料乳を乳業メーカーに販売するさいの指標として機能しており、生産者価格を下支えする役割を果たしている。CDC買い入れ価格のもとになるのは、毎年実施される生産費調査である(平均より大規模な経営が対象のサンプル調査)。生産費調査をベースに、関係団体からの意見、加工メーカーの利益、消費者物価などを勘案して買い入れ価格を決めている。
最近10年間のCDCによる買い入れ価格は安定している。バターは1kgあたり5.54ドル(2000年)から少しずつ引き上げられ、2008年2月には6.93ドル、その後も価格を維持しており2010年で7.10ドルである。脱脂粉乳もほぼ同様の推移をたどっている。
◆ケベックの酪農生産者にとって意義大きい供給管理
酪農の農場販売額は53億ドル(2008年)であり、カナダの農産物受取額全体のおよそ13%を占めている。鶏卵、家禽肉を加えると農産物販売額の2割を超える重要な部門である。 酪農経営はケベック州に49%、オンタリオ州に32%とこの2州に81%が集中し、とくに加工用原料乳の比率が高いケベックの酪農生産者にとって供給管理の意義は大きい。
2008年7月、ジュネーブでのWTO閣僚級会合にさいして、40カ国の農業者団体が共同宣言を発表したが、カナダの供給管理型ボードもこれに加わり、「食料供給と価格の安定をはかるため、貿易ルールにおいて供給管理などの政策措置が認められるべきである」ことを盛り込んだ。ハーパー政権はこれまで供給管理を堅持すると言明してきたが、TPP交渉参加はこうした発言と真っ向から矛盾するものである。
カナダの供給管理制度は重大な岐路に直面しており、当該部門の農業生産者にとってまさに正念場であるといわねばならない。
【著者略歴】
まつばら・とよひこ
1955年大阪府生まれ
78年大阪市立大学経済学部卒業、83年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、宮城学院女子大学専任講師、同助教授、立命館大学経済学部助教授を経て98年4月より教授、博士(経済学)、日本カナダ学会理事、草津市未来研究所所長。主著『カナダ農業とアグリビジネス』法律文化社、96年、『WTOとカナダ農業ーNAFTA(北米自由貿易協定)とグローバル化は何をもたらしたか―』、筑波書房、04年、『現代の食とアグリビジネス』(共編著)、有斐閣、04年、『新大陸型資本主義国の共生農業システム―アメリカとカナダ―』(共著)、農林統計協会、11年