トウモロコシを失うことは
国を失うこと…
◆トウモロコシの特別な意味
原題は『トウモロコシのための闘い―メキシコ農村における農民、労働者、GMコーン』で、カナダの女性文化人類学者、エリザベス・フィッティングが昨年発表した。
同書は「遺伝子組み換えトウモロコシをめぐる論争」と「NAFTAがもたらした農業の危機と生活の激変」が大きな柱で関係者や農民との膨大なインタビューとその検討を通じてメキシコ農村の今を描き出した研究書でありジャーナリスティックな証言でもある。
メキシコの人口は約1億1000万人で日本と同程度だが、国土は日本の5倍。農林水産人口は2000万人だ(09年、FAO統計)。
メキシコはトウモロコシの発祥の地で、これが主食であるが、2001年、地元品種に組換え遺伝子との交雑が発見され大問題となった。
メキシコにおけるトウモロコシは主食であるだけでなく、その文化的アイデンティティと結びついて特別な意味をもった作物であるといわれている。
トウモロコシをクレープ状にしたトルティーヤはメキシコ人の日常食だが、植民地時代は「進歩」を代表する小麦のパンに対してインディオの「後進性」を代表する食べ物とされていた。そうした蔑視の中で、農民は地域に合った多種多様な地元品種を育て、それを日常食に、また酒その他の儀礼食として守ってきた。
トウモロコシは「メキシコ人をメキシコ人たらしめる」文化の臍の緒でもあった、という。
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『壊国の契約 NAFTA下メキシコの苦悩と抵抗』(農文協刊・定価2600円+税 四六版282P)
◆GM種発見の衝撃
そのメキシコの地元トウモロコシはクリオーリョ種と呼ばれる白いトウモロコシだ。北米産の黄色のトウモロコシとは外観も風味も異なっている。今でも村の女たちはこれでトルティーヤをつくるが、そこに政府は栽培認可をしてもいないのに組換え遺伝子を持つ種が紛れ込んでいたのだから大きな衝撃だ。原因はNAFTAによって急増した米国産のGMコーンからの遺伝子移動である。
しかし、GMは収量を上げる結構な技術ではないかという推進論が、メキシコでも多国籍企業や北部の大農園を中心にあがっている。 ウサビアーガ農相はある全国紙で「われわれは文化と闘っている」と述べたことが同書で紹介されているが、それは低収量の地元種によるトウモロコシ生産へのこだわりこそがメキシコの発展を妨げている、という認識を表明したもの。こうしてNAFTA締結を契機に効率的な農業への転換と市場主義への傾斜が急速に強まった。
これに危機を感じて「トウモロコシの擁護」を追求する農民団体や環境団体、消費者の食の主権を求める運動が今世紀に入って巨大な国民運動になってきたという。
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メキシコのとうもろこし。白いもののほか、青いものもある
◆輸入急増で価格暴落
しかし、伝統的なトウモロコシ生産とそれを担ってきた農村はきわめて厳しい状況だ。
NAFTAが発効したのは1994年。グラフは同書掲載のものだが、トウモロコシの輸入は急増し2006年には800万tに迫っている。ちなみに今年3月に発表された米国農務省のデータを調べてみると、2011〜2012年の輸入量は1000万tを超えた。同書によると、1994年から96年までにメキシコの穀物価格は48%下落。協定は一応輸入限度枠を設定しているが、発効以来、輸入量はこの枠を超え続け、しかも、輸入業者には超過課徴金支払いは義務づけられていない。
08年にはかたちばかりのこの輸入枠とともに、発効から15年間でゼロにするという関税も完全に撤廃された。
輸入急増と価格下落で地元産トウモロコシは競争力を失っていく。市場に出しても採算はとれず自給的につくるだけという農家も増えた。それでは生活ができないと村を離れる・・・。
同時にNAFTAは都会の消費者の食生活も変化させた。
「今や都会で普通に流通しているのは米国産トウモロコシの粉やレディメードのトルティーヤばかりです。本来の風味やバランスのとれた栄養はありません」と里見氏は話す。
しかも、同書によればトウモロコシ価格が下落したからといっても消費者が手に入れるトルティーヤ価格が下がったわけではなかったという。というのもNAFTA発効と同時に消費者価格引き下げのための政府補助金が廃止されたからだ。
08年の世界的な穀物高騰の際には、トルティーヤの価格が高騰したことに数万人の市民が暴動を起こしたと報じられたことは記憶に新しい。同書によれば08年の暴動までの間にトルティーヤの価格は推計で「738%上昇した」という。
メキシコではトウモロコシを農民から支持価格で買い上げ都市部などへ販売する政策を1930年代から行ってきたのだが、それを担っていた国営主要食糧流通公社(CONASUPO)は輸入急増とアグリビジネスの進出のなかで90年代に廃止された。
◆新自由主義コーン体制
これらの変化のきっかけは80年代の債務危機。メキシコはIMF(国際通貨基金)や世界銀行からの借入れを行った。その際、IMFや世銀、さらに米国はメキシコに高関税や規制、政府援助などの緩和や撤廃を求めた。いわゆる新自由主義的な構造調整政策といわれるもので、NAFTAはそれを条約として具体化したものともいえる。
もっともトマトやキュウリ、アボカド、ライムなどの野菜・果樹はNAFTA下で輸出が増加したという。しかし、輸出部門での雇用増は全体の雇用を埋め合わせるものではなく、1995年から05年の間に50万人の農業労働者を失業させたと指摘している。
また、外国資本の直接投資が自由化されたこともあって農村部にジーンズ工場が建設され一時は雇用が増えた。ただし、そのブームも2000年に終焉。企業はもっと安い労働力を求めて外国に移転、一時的な雇用は新たな失業を生んだだけだった。
◆ばらばらにされた農村
“非能率な農民”として追い出された人々が向かったのはどこか? 仕事のあてのない都市部と、米国への出稼ぎである。
里見氏の専門は教育・学習理論と中南米演劇だが、新自由主義的グローバル化の下で世界的に起こっているのは農民の流民化・難民化と都市スラムの肥大化であり、そうした「宙吊り」状態のなか、人はどう生きるか、生きていくことができるかが洋の東西を問わず文化と教育の中心課題だと感じている。土地からも共同体からも切り離された若者たちの絶望がテロと麻薬犯罪を育て、それがはね返って当の米国自体をも翻弄するという構図はメキシコのようなラテンアメリカ諸国にもっとも端的に現れているが、そうした状況下で生活の場に根差した連帯や共同性をどう編み直していくかが問われている、という。
「それは洋の向こうの話ではなくて、この私たちの国の現実になりつつあると、原発事故やTPPをめぐる動きを見ていると痛感されてなりません」。
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メキシコの日常食・トルティーヤ
◆根無し草になる労働者
ただし、NAFTA下のメキシコにも、外見的にはバラ色にみえる面がある。米国に出稼ぎに出てうまく村に送金できた若者は、畑をつぶして瀟洒な家を建てる。ファッショナブルな外国製品が農村にも出回り、消費志向が高まっている。だが村にいるかぎり現金収入につながる雇用は少ない。戻っても職がないから米国に出稼ぎに行くことを繰り返す。皮肉なことに自由化にともなって、国境の壁は厚くなった。9.11以後はとくにそうだ。国境越えはより危険を伴うものになり、案内業者に払う金も増えた。
それでも、こうした若者たちの送金に依拠して老人たちが自給用のトウモロコシを細々とつくりつづけている間は、地元種の白いトウモロコシとトルティーヤは、かろうじて存続する。だがその若者たちが老人になったとき、彼らはやはりトウモロコシをつくりつづけるだろうか。
同書で指摘されていることだが、こうした出稼ぎに行く若者には採算の取れないトウモロコシ生産には興味がなく、実家の農業に関わった経験や、農業知識が急速に失われているという。
「トウモロコシを失うことは国を失うこと」、これが同国のトウモロコシを守る運動のスローガンだ。だが、描かれた現実は厳しい。
原著が出版されたのは昨年6月。
「一読してTPP交渉に参加しようとしている日本に警告を鳴らすものと思いました。その後、11月の野田首相の会見を聞き、これは待ったなし、急いで翻訳を、と。まさに直視しなければならない世界の現実です」と里見氏は話している。
里見実 氏 PROFILE
(さとみ・みのる)
1936年生まれ。1965年から2007年まで國學院大學教員。現在、同大学名誉教授。教育・学習理論と中南米文化、演劇活動に関する著作・翻訳を行う。著書に『働くことと学ぶこと』(太郎次郎社)、『ラテンアメリカの新しい伝統』(晶文社)、訳書にパウロ・フレイレ『希望の教育学』(太郎次郎社)など。