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食料自給率を向上させたイギリス(下)

北出俊昭 元明治大学教授

3.イギリスにみる政府主導の食料政策  農林水産省がいうように、イギ...

3.イギリスにみる政府主導の食料政策

 農林水産省がいうように、イギリスの国土は相対的に平坦で、1戸当たり経営規模もわが国の70倍以上である。また、小麦と畜産物を中心とした食生活があまり大きな変化をしなかったことは、消費が著しく増大した畜産物生産に必要な家畜の飼料原料を海外に依存し、食料自給率を低下させたわが国とは異なっている。これらはいずれも食料自給率を維持・向上する上では有利な条件であり、その限りでは政府が述べている通りである。
 しかし、イギリスもかつては40%程度の食料自給率だったので、それが70%にまで向上したのは、その相違だけに帰すことができないと思われる。ここでその重要な要因として強調したいのは、前回述べた経過からも明らかなように、自国の食料の安定確保についての政府の強い政策的意志がみられたことである。
 世界的に食糧が不足していた時期の1947年農業法はもちろん、65年の「選択的拡大計画」についても、ほぼ同じ61年に策定された農業基本法に基づき推進されたわが国の選択的拡大政策と比較すれば、その特徴が明らかである。これは、EC加盟時の「食料はわが国の資源から」、EU発足に際して決定された「わが国農業の将来」とそれに基づく「食料はイギリスから」でも指摘できることである。
 つまり、イギリスでは自由主義経済の先進国で市場原理が基調とされ、国際貿易も重視されており、農業政策もその例外ではない。それにもかかわらず、常に国内生産による農産物の安定供給が重視され、そのための政府によるイニシアチブの発揮が強調されていたということができる。そして、そこにこそイギリスが食料自給率を向上させてきた重要な「鍵」があったといえる。つまり、イギリスでは市場原理を基調とした経済運営(=「民」)と政府のイニシアチブによる食料の安定供給対策(=「公」)とは矛盾するものではなく、相互に調整補完しながら政策が追求されてきたのである。
 こうした政策理念は、EU発足に際しイギリス政府が述べた“CAP改革と統合市場への対応は農業者の自助努力だけでは対応できない性格を持っている”との見解に端的に示されている。そしてここで強調したいのは、政府が示した対策を政府自身が責任を持って実行すれば、農業者は自らの判断でそれに従うことも示されていることである。政府のイニシアチブ発揮は農業者との信頼関係を強め、むしろ自主性の発揮を促すからである。
 こうしたイギリスの政策は、第1次、第2次の両世界大戦時において深刻な食料不足に直面したという、厳しい体験に起因しているのはいうまでもない。
 もちろん、これまでに述べたことはイギリスの政策には問題がなく、農業も順調に発展しているということを意味しない。近年、イギリスにおいても農業生産額の減少と農業所得の低下、農業従事者の減少、セットアサイドの影響もあるが耕地作付面積の減少などがみられる。そして何よりも食料自給率も低下している。また、加盟国が27カ国に拡大したことに伴う新たな課題も生じている。それにもかかわらず、これまで食料自給率が向上した要因として政府のイニシアチブによる強い政策的意志を軽視することはできないと思われる。

4.わが国の食料自給率向上の課題

 わが国の食料・農業・農村基本法では食料の安定確保は「国内の農業生産の増大を図ることを基本とし、これに輸入と備蓄を組み合わせて行う」(第2条)と規定している。食料を安定的に供給するためには、国内生産、輸入、備蓄の3つが必要なことは当然であるが、問題は国内生産も他の2つと同じウエイトで並列的なことである。
 この条文は法律の当初案では「国内農業生産の維持増大を図ることを基本」とされ、それが農政改革大綱にも明記されていた。しかし、最終案では「維持拡大を図る」を削除して上程され、国会審議のなかで再修正されて本文通り成立した経過がある。これからも明らかなように、わが国の食料安定確保の理念とイギリス政府が強調した「Food from Britain」との間には大きな違いがあるといえるのである。
 これは、その後の経過からもいえることである。政府は2000年3月、2010年の食料自給率目標として45%(カロリーベース)を示した。しかし、その後の経過をみると期限までの達成が困難であるとして、05年にはこれを2015年目標に変更した。その理由として政府が強調したのは、消費、生産の両面がいずれも予定通り進んでいないことで、工程表問題以外の政府の責任にはほとんど言及していない。しかも、当初参考としていた生産額ベース自給率が改定目標では正式目標とされ、食料消費および農業生産について「望ましい姿」とそのための課題を示し、自給率目標達成にはその課題達成が不可欠とされた。
 確かに各自給率にはそれぞれの意味があり、それに応じた対策も必要であるが、カロリーベースより生産額ベース自給率が高いことを理由に、わが国の食料自給率が世界最低水準であることを曖昧にするとすれば、問題である。また、食料自給率が向上しないのは「望ましい姿」実現への取り組みが不十分だからであるとして、その責任を消費者や生産者に転嫁するようなことがあってはならないのはいうまでもない。
 中国冷凍ギョウザ問題を契機に、国民の間には安心・安全な食料に対する関心が高まっているが、加えて最近世界的な需給逼迫で食料の国際価格は73〜74年の食糧危機時以上に上昇している(表参照)。そのため国内の食品価格も上昇して家計の負担を強めているので、国内農業生産発展への期待が高まっている。
 政府もこうした内外の深刻な食料事情に対応するため「21世紀新農政2000」を決定したが、そこには米粉利用や飼料対策の強調など最近の情勢を反映したものもみられるが、内容のほとんどは従来政策の繰り返しにすぎない。したがって、現在、食料の安定確保について最も強く望まれるのは、政府自ら「Food from Japan」を基本方針とした強い政策的意図を示すことである。そしてそれこそが、イギリスの食料自給率向上の教訓に真に学ぶことである。

(2008.06.17)