中国最大の野菜基地・山東省寿光市(じゅこうし)
◆「改革・開放」による経済大発展をベースに
中国の山東省は昔から野菜生産で知られ、「山東大白菜」(サントウサイ)のふるさととして有名だ。「大白菜」は華北地域の冬の野菜として極めて貴重な存在だった。1980年代前半までは、首都・北京の厳冬期を前にした一大行事は、この「大白菜」を大量に買い込んで、半干しにし、ベランダの隅に積み上げる作業だった。こうして保存しながら、一冬、煮たり炒めたり、餃子の具にしたり、ほとんど唯一の冬の野菜として大切に使ったものだった。
それがどうだろう。「改革・開放」がもたらした経済の大発展によって、北京に限らず、中国のどの都市でも、今では一年中、さまざまな野菜をスーパーで自由に買い求めることができるようになった。全国に高速道路網が張りめぐらされ、流通が格段に発達しただけではなく、各地に野菜の大生産基地が建設され、市場をにらんだ各種野菜の生産が、一年を通して、大規模に行われる時代になったのだ。
◆「中国の野菜の里」も最初は17のハウスから
「中国の野菜の里」山東省・寿光市では、毎年、4月20日から5月20日まで「国際野菜科学技術博覧会」(菜博会)が開催されている。今年は第12回目で、国内外から3000を超す関係企業がブースを並べ、会期中1万人以上のバイヤーやビジネスマンが訪れて活発な商談が行われた。
「菜博会」は年々規模が大きくなり、多くのハイテク栽培技術が展示されて、入場者を驚かせている。なぜ、寿光市でこのようなハイレベルの博覧会が開かれているのか。それは、寿光が中国最大の野菜生産基地であり、また中国最大の野菜集散地であるからにほかならない。
寿光市は山東半島の中央北部に位置し、北は渤海に臨む。総面積は2072平方キロ。寿光が中国最大の野菜生産基地になる発端は、三元朱村で20年前に始められた「冬暖式大型ハウス」による野菜栽培だった(写真下)。
1989年、三元朱村の中国共産党支部書記・王楽義さんは遼寧省に赴き、当時開発されたばかりの冬暖式大型ハウスを使った野菜の栽培技術を学んだ。このハウスは、外気が零下25度以下にならない限り、厳冬期でも石炭や重油をたかずに野菜が栽培できる。
故郷に戻った王さんは、村の16人の共産党員を率いて17棟の大型ハウスを建て、キュウリの栽培を始めた。この17棟から始まって、寿光は一歩また一歩と最新の栽培技術を取り入れ、その特色ある野菜栽培の道を歩んできたのだ。
(写真)
上:今年の「菜博会」では8つの展示パビリオンと4つの植栽温室が並んだ。中国各地と世界から多くの人々が訪れ、交流と商談が行われた。日本からの出展も
下:三元朱村の野菜栽培はこうした冬暖式大型ハウスで行われる
◆報酬が3倍になった農業技術専門家
三元朱村の王万凱さんは今年56歳。大型ハウスでキュウリとニガウリ(ツルレイシ)を栽培しているが、農作業は奥さんと息子にまかせ、一年の大部分は農業技術員として中国の各地を忙しく駆け回る。これまでに新疆ウイグル自治区や内蒙古自治区、青海省や北京市などで野菜栽培の実地指導に当たってきた。2002年には1カ月の報酬は2000元だったが、今では3倍の6000元(約7万5000円)が支払われるという。
17棟の冬暖式ハウスが建てられてから、寿光はずっとハウス野菜栽培のテストケースになってきた。農薬を極力使わずに、天敵を用いた虫害防除を行ったり、肥料に牛乳を用いたり、無土栽培を行ったりの科学技術イノベーション(刷新)を率先して取り入れてきたのだ。有機質無土栽培のハウスは現在、1.3平方キロにまで広がっている。
◆合格したもののみ買上げブランド化
今日の寿光市には540平方キロの野菜生産基地が広がり、年間の野菜生産量は400万トンを超える。国内の200以上の大中都市に送り出されるほか、日本や韓国、欧州連合(EU)など20余の国と地域に輸出されている。
栽培規模が拡大するにつれ、王楽義書記を始めとする寿光の野菜栽培農家は野菜を専門に出荷したり、加工したりする会社を興した。三元朱村では王書記の名前の「楽義」を商標にして、「楽義野菜」「楽義冬暖式ハウス」といった商品を開発し、「楽義」がブランドとして広く中国全土に知られるまでになっている。
農家が各戸ばらばらに生産するのではなく、種苗を統一して管理し、生産された優れた野菜は会社が買い上げ、会社の「ブランド」で販売するというシステムが立ち上がったのだ。三元朱村では、野菜の質の標準に合格したものだけを買い上げて、「楽義野菜」として販売している。
日本のニーズに応えた開発も
◆「野菜栽培革命」のカギは標準化生産に
寿光市では10万人の農民が農業技術の資格証書である「緑色証書」を所持している。また180人を超す農民が農業科学技術の専門家として全国で活躍している。540平方キロに及ぶ野菜生産基地の98%で、300項目以上の農業先進技術が応用され、良種による播種・栽培が行われている。
「リアルタイム気象報道システム」と「野菜標準化生産技術データシステム」が確立され、「情報伝達カー」がハウスの並ぶ農道を巡回し、必要な情報を常時提供している。
寿光市では、「野菜栽培革命」のカギは、何よりも標準化生産にあると考えている。ちょっとしたミスが、たとえ一、二戸の農家に発生しただけでも「寿光」のブランドを大きく傷つけてしまうからだ。
寿光では、ハウスは建設許可制で、土質に基づいた施肥、毒性の高い農薬の使用厳禁など、数々の基準を徹底させることを定め、生産現場での野菜の質の監督管理を強化してきた。全国に先駆けて野菜の「新世代身分証」である「野菜の質と安全を示す二次元コード」を採用、生産と質を栽培の全過程でチェックし、標準化生産を着実に進める道を切り開いた。高品質農産物の認証を得た農作物は325種、商標登録済みの農産物は116種にも上る。
◆1日2万トンを取扱う中国最大の野菜卸売市場
寿光市には中国最大の野菜集散センター「寿光農産品物流園」がある。総面積は200万平方メートル。毎朝、午前3時から地元の寿光の野菜の競りが始まり、午前4時半からは山東省内の野菜、午前5時半以降は省外から運び込まれる野菜の競りも始まる。競りが終わると、野菜は規格に基づいて仕分け・包装され、トラックの荷台に積みなおされて、中国各地に送り出される。
ここで扱われる野菜・果物の量は1日に1万5000トンから2万トン。取引額は4000万元(約5億円)近くに上る。全国の20余の省・自治区・直轄市から野菜が運び込まれてくる。
中国最大のジャガイモ産地である内蒙古自治区のウランチャブ(烏蘭察布)と北京は400kmも離れていないが、800km離れたここ寿光の「物流園」に運び込まれ、競りを終えてから、北京に送り出される。
取材したこの日は、江西省からタケノコ、上海市郊外からカリフラワー、海南省からパパイア、それにベトナムからニンジンが運び込まれてきていた。
(写真)野菜集散センター「寿光農産品物流園」。朝4時過ぎ、中国各地から野菜を満載したトラックが到着、競りが終わると野菜は規格に基づいて包装される。写真はカリフラワー
◆日本へはニンニク、ショウガ、ニンジン
今年の第12回菜博会では、人の代わりに野菜の摘果や管理を行うロボット、パイプ栽培、魚の養殖と野菜の水耕栽培を一体化させたアクアポニクス(写真左)、回転式水空両養栽培などの最先端栽培法も展示・紹介された。日本からも種苗や肥料の会社がブースを並べ、また野菜取引の商談が行われた。
寿光市には2007年に税関の出張事務所が開設され、野菜輸出の通関事務一本化が実現した。それまでは港で10日から13日もかかった通関手続きが、3日で済むようになっている。
日本へはニンニク、ショウガ、ニンジンの輸出量が多い。主に阪神圏と首都圏に送り出されるという。同じ山東省のニンニク産地・金郷県のものを含めて、寿光に集まったニンニクのうち、今年4月には1500トンが日本に輸出されている。しかし、ブラジルや東南アジアでの需要が高まり、日本へのニンニクの輸出は輸出量全体の2%に過ぎない。
そして今後は、トウガラシやタマネギなどの優良品を日本のニーズを踏まえて振興していけたらと関係者は語っている。
中国一の野菜生産・集散基地から、名実相伴う世界の野菜ハイテク栽培基地になるためには、世界各国との交流・提携が求められる。日本とのきめ細かな協力が行われ、その成果がいっそう寿光の名を輝かせることを期待したい。
(写真)
上:魚の養殖と野菜の水耕栽培を一体化させたシステム―アクアポニクス
下:山東省寿光永盛種子公司(種苗会社)の実験ハウス