コラム

共存同栄

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【秋田義信((社)青森県農協学園元学園長)】
第5回 役職を離れても協同組合運動は続く

 「共存同栄ネットワーク」の結成式で松下会長のあいさつに「役職を離れても協同組合人には引退がない」という一言があった。私は「まったくその通り。まさにそうだ」と受け止めた。
 ところが残念なことに、現役から去れば「あとは野となれ山となれ」と言わんばかりの人が少なくない。

 左写真の石碑「協同一致」は有馬頼寧(ありま よりやす)の揮毫で、左には「農林大臣・伯爵・有馬頼寧」と刻まれている。これは本県の旧新城村の元産業組合の敷地に立っていたものだが、私が県農協学園(現・県農協中央会教育研修所)の構内に移設したものである。 さて当の私は青森市の街中に住んでいるが、何を為すべきか、何が出来るか、を時々考える。そこで思い浮かんだ一つが老人相応の仕事である。協同組合に関する県内の史料の所在と意義(価値)を若い人たちに伝えることだと思った。
 方々に板倉の郷倉(ごうぞう、昭和恐慌期のもの)がそのまま残っているムラがある。石碑もある。扁額もある。品川弥二郎の書もあった。
 左写真の石碑「協同一致」は有馬頼寧(ありま よりやす)の揮毫で、左には「農林大臣・伯爵・有馬頼寧」と刻まれている。これは本県の旧新城村の元産業組合の敷地に立っていたものだが、私が県農協学園(現・県農協中央会教育研修所)の構内に移設したものである。
 石碑の裏には「昭和十二年」と刻まれていた。大方ご承知の通り、有馬頼寧もまた産業組合に力を入れた人である。
 もう一枚の写真(右)、これは新渡戸稲造の書であり、これは前述の県農協教育研修所の大教室に掲げられている。また、この教室に新渡戸博士の「Union is power」の扁額もある。 もう一枚の写真(右)、これは新渡戸稲造の書であり、これは前述の県農協教育研修所の大教室に掲げられている。また、この教室に新渡戸博士の「Union is power」の扁額もある。
 二宮尊徳の石像写真や「報徳訓」などもそこにあるが、いつか松下会長はじめ皆さんの御来県の際に御検閲を願いたいと思っている。

 最後に過般の東日本大震災についてであるが、九州・四国などの台風被害や口蹄疫などにしても、私たちは「今日はひと(他人)の身、明日はわが身」ということを忘れてはならない。昔、ムラの人たちはよく言った。「お互いサマ」、と。そこから共存同栄、相互扶助の協同精神が湧いてくるのだと思う。

(2011.05.18)