コラム

目明き千人

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【原田康】
片目を閉じて、さらに薄目で見る

 途上国といわれる国の農村に入ると日本のモーレツ社会で育った人は立ち往生することになる。ビジネスの経験者は勿論のこと、初めて社会に出る海外青年協力隊の若い人にも共通する。

 途上国といわれる国の農村に入ると日本のモーレツ社会で育った人は立ち往生することになる。ビジネスの経験者は勿論のこと、初めて社会に出る海外青年協力隊の若い人にも共通する。
 日本のように全てが計算通り、理屈通り、頼んでおいたことは必ず約束までに出来ている、電車も定刻が当たり前で成り立っている生活から途上国の農村に来ると浦島太郎となる。よく例に出される時間を守らないといった類の程度ではなく万事に歯車がかみ合わない。
 途上国の農家は収穫をしたら先ず家族に必要な自家用を確保して、残りを販売に回す。現金が必要になるが、輸送手段、農協も無く農家は庭先で産地業者に売る以外に販売の方法がないところが多い。このような売り方では質よりも量が大切で、栽培方法も収穫量を増やすことが先決となるので、マーケティングのイロハであるエンドユーザーの必要とするものをつくる“商品としての農産物の生産”ということには距離が在り過ぎる。
 このようなところへ“市場経済”の最先端である“オーガニック”が鳴り物入りで持ち込まれている。途上国でも、都市の富裕層は農薬がたくさん使ってある物を警戒して“オーガニック”を高くても買う消費者もいるが、ものには順番がある。どのようなことが起きているか、農家は自家用と販売用を区別して自家用は姿が悪くて収量が減っても農薬を減らし、販売用は昼間は無農薬、夜は従来どおりの栽培となる。
 農家は金が無いので、収穫量を増やすための肥料も農薬も必要な量が買えない状態なのにオーガニックを持ち込むのは順番が違う。流通業者と一部のNPOがはしゃいでいる。が、農家の収入が確保されるという大前提が無ければ無理である。
 先進国の、モーレツ型競争社会を当たり前とせず途上国の姿を、遅れているので先進国並みになるよう指導すると意気込まないで、現地の実態とは歴史的な経過を経て、工夫をして現在の姿になっているのであるからそこで住んでいる人たちにはそれなりに合理的な姿である、と先ず理解する。
 但し、途上国にも国境を越えたグローバルな経済が目の前まで来ている、この動きは待ったなしなのでその時に間に合うように早めに準備をしておく、それには日本がたどってきた経験が役に立ちますよ、ということである。
 これには、片目をつぶって、さらに開けている方の目も半分閉じて薄目でみるとちょうど同じ目線となる。

(2012.08.15)