前回は、日本へのお茶の伝来が千年以上前に遡れること、そして、現代日本で最もポピュラーな摘採した茶芽を蒸すという製法は、当時のお茶の製法を今でも受け継いでいるということをご紹介しました。しかしながら、今日私たち日本人が日常的に飲んでいるお茶は、もちろん当時のお茶とは異なっています。では、私たちのお茶は、どのようにしてできたものなのでしょうか。
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平安初期に日本に伝来したお茶は、平安後期の国風文化の興隆とともに、忘れ去られかけたこともあったようですが、鎌倉時代の禅宗の伝来に伴って、再び歴史の表舞台に現れます。そして、室町時代には茶道が確立し、いわゆる「侘び、寂び」という日本独特の精神と結びついてゆきます。
戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉などの庇護もあり、すでに京都の宇治などは銘茶の産地としての地位を確立していました。
ただし、当時、茶はあくまで大名など特権階級のものであり、とうてい庶民には手の届かないものでした。
現在、日本で最も多く生産・消費されているお茶は煎茶ですが、この煎茶の製法が発明されたのは18世紀前半、宇治田原の永谷宗円によるものとされています。
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永谷宗円の開発した煎茶は、蒸した茶葉を揉みながら低温で乾燥し成形したものです。この方法は製造に時間を要しますが、茶の新芽が持つ新鮮な香りや色を保つ上では、非常に理にかなっています。さらに、揉むことで茶葉の組織が適度に破壊されて、お湯を注いだ時に成分が抽出されやすくなります。
新芽の持つみずみずしい風味を大切に封じ込め、そのまま飲む人に届けるというのが、煎茶の製造方法の理念と言えます。
永谷宗円の煎茶の優れた風味は、有力な茶商や文人により大いに評価され、その製造方法は日本中に広まりました。
今日では、煎茶の製造はほぼ完全に機械化されていますが、上述のような煎茶の理念は現在も脈々と受け継がれています。