紅茶はインド、スリランカ、ケニアなどが有名で、ヨーロッパはもとより日本にも多く輸出されています。ところが、この紅茶。今でも来歴がハッキリしない、非常にミステリアスなお茶なのです。
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大航海時代を経てヨーロッパ人は茶と出会います。その後、茶は近代史をも左右する重要な貿易品になりますが、一説によれば西暦1600年頃、最初にアジアからヨーロッパに輸出された茶は長崎・平戸の緑茶だったとか。
日本が鎖国すると、ヨーロッパへの茶輸出はもっぱら中国からになります。福建のアモイ、広東の広州がその中心になりますが、17世紀の記録ではその頃ヨーロッパで珍重されたのは緑茶だったようです。
紅茶は18世紀から徐々に増え、19世紀には主流となりました。紅茶が増大したのは、その風味が当時のヨーロッパ人の嗜好に合致したからにまちがいないでしょう。ところが唐代の『茶経』など、中国に数ある茶書においても、紅茶に関する記述はほとんどありません。
17世紀から18世紀にかけて、貿易の舞台に忽然と紅茶が登場しますが、その来歴については、中国側にもヨーロッパ側にもはっきりした文献がないのです。
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紅茶のように「茶葉を発酵させる」利用形態は、中国南方の少数民族に由来するようですが、緑茶が中心だった漢民族の茶文化からはまったく除外されていました。さらに当時の清朝も半ば鎖国状態であり、茶がどのように製造されているのか、買う側のヨーロッパ人も現場を見ることは不可能でした。
いずれかの少数山岳民族がつくっていた紅茶を、したたかな中国商人が、さもありがたくヨーロッパ人に売りつけたのがその始まりではないかという説もあります。
いずれにせよ、元々身元不明なお茶が、今日では世界で最も多く飲まれているというのは、実に不思議なことです。
(写真)
インド・ニルギリの茶摘み風景