小正月も過ぎ、皆さまの地域では左義長(さぎちょう)、松飾りや注連縄(しめなわ)、書き初めなどを持ち寄って焼く行事を、何と呼ばれているのでしょう。とんど、どんど焼き、さいと焼き、でしょうか。
正月飾りの代表ともいえる鏡餅の鏡開き。神への供え物をいただくことによって、神さまのご加護にあずかりたいとの願いと、固いものを食べて、健康と長寿を得ようとした、歯固(はがた)めの習俗が結びついて始まったといわれます。縁起をかついで、切るではなく“開く”といい、木槌でたたいて手で割ることがしきたりなのは、わたしが言うまでもない、皆さまご承知のこと。
神と自然に感謝する行事にかかわるものが、稲作、米作りなしでは成立しません。藁を利用しての注連縄、注連飾りは、標縄(しるしなわ)ともいわれ、歳神さまのこられる場所、清浄な場であることの表示とともに、不浄なものの侵入、禍神(まがかみ)を家内にいれないためのもので、新藁に祈りがこめられています。
わたしは東京暮らし、それも集合住宅住まいですが、玄関飾りの注連縄は欠かせません。
「おいしいものは美しい」
シリーズの記念すべき初回は、わたしたちの主食、コメ、稲作文化の藁、稲穂をインテリアとして目でも楽しもうという提案です。
農家にとって見慣れたものでも視点を変えることで新しいコメの発見ができるのではないでしょうか。
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藁の利用は、米俵から座布団、鍋敷き等々、日常的に使用されてきましたが、現在では各地域で、意識的に文化として残そうと、藁工芸部会の方々の手によって残されています。
山形県庄内地方の藤島町藁工芸部会、宮城県丸森町高齢者生産活動センターはそれぞれ、経済連のパンフ「庄内米(しょうないこめ)紀行」や、NHK教育テレビおしゃれ工房の「素足にやさしい布ぞうり」の仕事で、わたし自身が取材させていただきました。
写真(左)は、藤島町の加工グループ、“あお空”の成澤久子さんが作ってくださった鍋敷きに、東京都新宿区の花園神社の酉(とり)の市の縁起物、「かっこめ」と呼ばれる稲穂のついた熊手や、色とりどりのポチ袋を差したわたしのオリジナル正月飾りです。
写真(右)は私方の打ち合わせの場所ともなるテーブルの正月飾り。稲穂を紅白の紙で包み水引をかけているだけです。豊かな実りの穂が、一年の福を約束してくれているかのようで頼もしい限りです。
新年から、来年のことをいうのは気が早すぎると笑われてしまいそうですが、秋の収穫の時に正月飾り用の稲穂を確保しておかなくてはなりませんので、お正月の気分の残るうちに提案します。
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おいしいものは、美しいインテリアにもなるのです。わたしはデザイナーですが、自然の造形力にはかないません。農家では当たり前のことも、視点を変えてみれば、有難い、めったに無い、ありがたいもので、出会えたこと…見ているだけでも心が豊かになれるのです。
たっぷりとした稲穂飾りを直売所に飾ることはもとより、一年の感謝を込めて期間限定、数量限定で差しあげるか、プラスアルファを加えて商品とするか、グループで話しあわれてはいかがでしょうか。
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写真(右)の右側に並んでいるのは、わが家の米ビツです。おやまあ少家族だこと、おままごとじゃああるまいしと笑われてしまいそうですが、毎日使っています。
大きいものは白米、その左は押麦、手前は赤米と黒米です。毎日、白米をベースに他の3種も加えて炊いています。この他に白米と玄米は別の大きな容器に入れ、それも部屋のインテリアとして見せています。ひとつは手焙りの火鉢にフタを誂えて。もうひとつはアジアの籠。お米をなぜガラスの容器に入れているかというと、それはコメを見て暮らしたいからです。自然の恵みの形と色の美しさをお客様にも見てもらいたいからです。またわたしにとっては作り手の顔も思いうかび、元気がもらえます。
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ひとつ提案があります。米ビツ(櫃)も桐材からプラスチックまで色々ありますが、わが家の米ビツ自慢を本紙ホームページ、あるいはお手紙で、寄稿して下さいませんでしょうか。私の長年の夢の企画は、「世界の米櫃展」です。日本以外の米文化圏の伝統的なものはもとより、一器多用の精神(花瓶利用等)のもの等。お待ちいたしております。勿論、写真つきで。