山形県遊佐では元気な女たちが地域を牽引(けんいん)しています。「遊佐刺し子とその歴史」研究会が着目したのは、橇曳き法被(そりひきはっぴ)。夏から秋にかけて、山で切り出した薪は、長さを揃えて積み上げられたまま冬をむかえ、雪を利用した橇で里に降ろされたそうです。橇を引く肩がけが当たる部分には強い力がかかり擦れますので、袖なしの法被の上に、刺し子で補強した布が肩先から斜めに縫いつけられています。写真右は研究会の一人、パッチワークキルト作家の土門玲子さんが古布を使用して、丁寧に縫い、刺されたミニチュア判橇曳き法被。わたしの事務所できりりとした存在感を放っています。
感激したお米のケーキ
玲子さんとの出会いは、マンガ『夏子の酒』でも有名になった酒米を使用する蔵が集う、「全国亀の尾サミット」の2001年主催地、庄内町余目(あまるめ)でした。ここは「亀の尾」発祥の地。亀の尾は「コシヒカリ」、「ササニシキ」の親です。開催記念の単行本、『浪漫亀の尾列島』の編集、製作をわたしが担当することとなりました。地元での会合で食したお米のケーキの作り手が彼女だったのです。亀の尾を材料にふわふわでしっとりのシフォンケーキ。庄内おばこの肌のようにきめの細かい舌ざわりのやさしさ。教わって作った方々が、彼女にはかなわないと舌を巻く。作り手はまた、針仕事の達人でもありました。
妻たちのバレンタイン
先の2月24日、「自分たちの町は、自分たちで創る」をモットーに地域づくりを志してきた玲子さんのもう一つの活動グループ「エキプ・ド・遊佐」の主催で15回目の「妻たちのバレンタイン―糸と針で縫いつがれてきた技」に招かれました。当日は時に雪が地面から吹き上がる天候で、その会の第一部、いや第一楽章と題されたメインの講演「遊佐刺し子を語る―橇木山(そりぎやま)の物語から」にいかにもふさわしい日和でした。講師は「遊佐刺し子とその歴史」研究会代表の佐藤いづみさん。なんと病院勤めの医師。健康管理のために通院するお年寄りから聞き取り調査もされたという。わたしは佐藤さんの、お話をうける形で「遊佐刺し子を活かす知恵」と題して、一針一針あて布の刺し子にこめられた女性たちの想いをたどってみました。
祈りとともに
橇木山(入会権を得た国有林)へ切った薪を取りに行くのは、山が雪に覆われ、固まってきた頃。旧正月過ぎから2月中の天気のよい数日から1週間ほどだという。荷を満載した橇で雪山を滑り降りるのは死と隣合わせの危険な作業。袖なしの身頃の上に布を2枚重ね、刺し子で、補強した前当て布。女性たちが競って腕をふるった刺し子には一針刺すごと、危険からのがれて無事に戻れるようにとの祈りが込められていたに違いありません。補強のための刺し子の「用の美」は、刺し文様にそれぞれの意味も込められ、刺し終えた柄の違いはまた、万が一の場合の身元の決め手となることもあった由。佐藤さんは英国の漁師が着たアラン模様のセーターと同様ではないかと指摘されています。藍染めの無地の部分と刺し子された部分のバランスは刺し手のセンスの見せ所。仕立て上げ、雪山へ送り出す時の夫の姿はさぞや晴々と、頼もしく眩しかったことでしょう。糸に想いを託し切った女たちは無事の帰宅を疑うことなく、家内(いえうち)の仕事に、家族の世話に専心していたのではないでしょうか。
「妻たちのバレンタイン」第2楽章はワークショップ。(1)風呂敷で遊ぶ、包み方教室。(2)遊佐刺し子で遊ぶ、マイコースターを作りましょうの2コース。(1)は林、(2)は池田ちゑさんと土門さんが担当しました。
海外にまで散逸していた橇曳き法被は研究会の尽力で、歴史、文様のいろいろ、刺し方にいたるまで『遊佐刺し子に遊ぶ』の美しい冊子にまとめられました。また文化出版局『季刊「銀花」』春号には6頁にわたって活動が紹介されています。
地域の「農」に根差した文化の掘り起こしは、歴史を語って下さる方々が元気になられ、また後に続く者の地域への想いが響きあって、深まるという好循環を生むようです。
写真下は遊佐町鳥海温泉「遊楽里」の産直コーナーで求めた壁掛けです。ハンディのある人々の作業所「あさひの家」で作られたもの。庄内、平田町直売所「めんたま畑」にも置かれていました。
次回は作業所と直売所の話から始めましょう。
エキプ・ド・遊佐 土門玲子 E-mail:itomaki@crocus.ocn.ne.jp