コラム

「林佳恵のぎっしり、にっこり!村の知恵袋」

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【林佳恵】
コメを生かし、地域を生かす

「コメを捨てた男」 藁(わら)で寿(ことほ)ぐ正月飾り

 本紙1月10日号、「どっこい生きてる ニッポンの農人」シリーズに稲作農家、J...

庄内米紀行

 本紙1月10日号、「どっこい生きてる ニッポンの農人」シリーズに稲作農家、JA、牧場と消費者が手を結び自給率向上にチャレンジ!!と題してコメを飼料にしての養豚で水田を守る山形県庄内でのプロジェクトの記事が一面を使って紹介されました。(記事参照)
 このわたしの連載コラムでは、同地域を取り上げてばかりで、いぶかしく思われる方も多いかと思います。その理由は01年にJA全農庄内本部からの依頼で「庄内米(こめ)紀行」と題した32頁の小冊子を制作したことに始まります(写真1)
 当時、全農庄内本部の米穀課長、現在は庄内町助役の奥山賢一さんから「執筆、デザインすべておまかせするので、好きなだけ取材にまわって下さい」との心強いバックアップを得られたからこそ、コラムに登場して下さった、多くのこころざし深い方々とのご縁を結ぶことができたのです。

「コメを捨てた男」

んだ豚だ!

 東京から庄内へ、何度も足を運びましたが、帰京の際、庄内空港で必ず買い求めていたのが、冒頭の記事に登場する平田牧場のハムやソーセージ、肉でした。その理由は、94年12月1日に協同図書サービス(現在はゆうエージェンシー)から発行された『んだ豚だ!コメを捨てた男―平田牧場主 新田嘉一』佐藤亮子著の本のデザインをわたしが担当させていただいたからです(写真2)
 コメ作りを生業とする地主の家に長男として生まれた新田さんが、コメ作りだけでは生きていけないと養豚を目指すには、戦中の国民学校時代の苦い経験、戦後の農地改革、庄内農業学校での品種改良や交配など育種の授業などいくつもの要因があります。農地解放で裸一貫となり、稲作から畜産に転向しようと豚を飼い始めた友人の家へ行った時に、現在へとつながる扉の取っ手を見つけられました。「んだ、豚っこさ買うべ」と。
 本書には、養豚から消費者の口へ入るまでの道筋での数々の困難がどう乗り超えられたのか語られています。今回、再読し、驚いたことは、なんと90年から当牧場では飼料米栽培の研究が始められていたことです。「こめ育ち豚」はいまどきの一朝一夕の取り組みなどではないのです。サブタイトルは「コメを捨てた男」とありますが、わたしにはご本人が、自らあえて負荷をかけられたことばだと受け止めております。この本は残念ながら絶版となっていますが、主婦、裏方、農婦として新田さん、平田牧場を支えられた新田冨美子さんの『平田牧場おふう日記』とともに再出版される道はないものでしょうか。庄内は己の利より人のため、地域のために身をけずる、公益の人々を多く輩出してきました。お二人の本には、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」の姿勢が貫かれています。そして智恵も。

藁(わら)で寿(ことほ)ぐ正月飾り

小野寺さん

 稲の語源をたどると、イは命、あるいは息。ネは根という説があります。すなわち、稲は「命の根っこ」だと。米の語源もさまざまで、形が目に似ていることから小目(コメ)、米粒が籾殻の中に「こも」っている、あるいは天地の精霊が「こも」っているから等々。稲作文化の極みは藁工芸品、JA庄内たがわ、藤島支所の藁工芸部会の小野寺勇治さんに産直「楽々(らら)」でお会いしました(写真3)。コーナーには干支にちなんだかわいい鼠、書き初め用の筆、もちろん藁です。ミニ米俵。ひときわ目を引くのは注連縄(しめなわ)。中央が大きくふくらんでいます。藁の美しさをより引き出したいと会員の方々で知恵を出しあって完成された由。既に20数年の歴史があり、ハワイの博物館に展示されています。

                         ◇   ◇

 次の世代へ、手渡すものを間違えることのなきよう、心を静め、耳を澄ます年となりますように。

(2008.02.04)