本紙でわたくしが初めてインタビューをさせていただいたのは99年1月20・30日合併号。「江戸の女はしたたかに生きた」と題されての、漫画家・杉浦日向子さん。第44回JA全国女性大会に向けての特集記事でした。
江戸の人口比は圧倒的に男性が多く、運良く結婚できても、女手は重宝されたようで共働き。家事もできないようでは、妻帯する資格もないとの話には、思わずニヤリ。また女性のアイディア商売、単身赴任者の引っ越し請け負いでは、後片付けの掃除までする。すぐ暮らせるようにとの細やかなサービスで収入を得ていた由、等々。いま直売所を新しい自分たちのステージとして活躍する女性たちに通じるものがあります。
05年、再びインタビュアーの依頼を受けた時は、「是非とも、吉武輝子さんで」と提案。実現したのは06年1月20日号。紙面の見出しには「もっと広い視野から女性農業者の要求を」「豊かな老いの設計を考えて、個人の尊厳を守っていく」「開花の機会をつかんで」「女にやさしい女こそ」「男性指向の日本農政」「男たちを変える集団」「開いてくる貧富の差」…の文字が。
◆立ち位置が示された
「田畑を耕すJA女性部は、人間の潜在能力をお互いに耕す組織でもある」と一歩前へ進む道を示され、その基盤に、憲法24条の両性の平等と、平和であるための9条、戦争放棄が欠くことのできない条件だと結ばれた。日常の中で憲法を意識するということ。二本の柱が立つことの意味は深い。柱は、日常をかけがえのないものとします。
◆対話集への道
その後、本紙では、JA女性大会へのメッセージとして、吉武さんと交流のある方々との対談が始まりました。07年には家事評論家の吉沢久子さんとタレントの山田邦子さん。08年にはシナリオライター、小山内美江子さんと女優の竹下景子さん。わたくしはワクワクして活字を追いました。どの方々も、ご自身の歩みの中で気付かれたことにこだわり、それを深め、社会へ問い返しておられました。
◆多くの方々と共有したい
わたくしは料理研究家、小林カツ代さんが立ち上げられた神楽坂女声合唱団で、吉武さんと知りあい、その後、ご著書の装丁、カバー等のデザインをさせていただいております。01年から08年末までで10冊となりました。文庫本が2冊、書きおろし単行本が8冊。装丁するには書かれている内容を識らなくてはなりません。文章から、また個人的なおしゃべりを通して、ますます吉武輝子という存在に圧倒され続けて来ました。その暖かさ、深さ、潔さ、筋の通し方を、新しいスタイルの本で、社会化したいと企画しました。
◆月刊『女性情報』の版元から出版!!
全国16社の新聞紙上の記事を、政治、子育て、企業、労働、平和・戦争・人種、性、からだ・こころ、高齢社会、文化、スポーツ等、24の項目を切り抜きというリアルなスタイルで1カ月の情報をまとめる『女性情報』。社会の動きを、目に焼きつけるという形で残す、一途で粘り強い出版社の刊行物の表紙をわたくしは大切な仕事として担当してきました。そのパド・ウィメンズ・オフィスから吉武輝子対話集『「私」が「わたくし」であることへ』が発売されました。
対話に参加して下さった方々には本紙登場の方のほかに、俳優の倍賞千恵子さん、岩崎加根子さん、高田敏江さん、歌手の新谷のり子さん、クミコさん、吉岡しげ美さん…。総勢で15名です。何度、読んでも、笑え、しみじみと力が涌いてきます。是非、書店からお申込み下さいまし。