わたくしの仕事、装幀(ブックデザイン)の初期の作品はまず、玉城哲『水の思想』【写真A】。農業水利の調査に基づく日本人の精神風土の特質を稲作文化=水文化の中に求めたもの。次に農村風景論、勝原文夫『農の美学』【写真B】。ともに'79年刊。'82年には佐藤俊郎『利根川 その治水と利水』【写真C】。一冊目のデザインには田に水を入れる足踏みの水車の写真。二冊目は土門挙の杙掛けの稲の写真を配し、三冊目には利根川の古地図を外箱にあしらった。
わたくしは小学校2年生まで富山県魚津市の山村の複式学級、全校生徒50数人の分教場で学びました。3年生からは母親の実家で東京暮らしを始め、今に到っております。
わたくしの原風景は田圃です。装幀者としての出発が「農」からであったことは幸いであり誇り。
その後も渡辺善次郎『都市と農村の間―都市近郊農業史論』『近代日本、都市近郊農業史』【写真F】、岡崎正孝『カナートイランの地下水路』【写真D】等々。ここまでの版元はすべて論創社。わたくしが在籍していた出版社です。その後、装幀者として独立してからは、'88年写真民族史、牛島盛光『須恵村、1935〜1985』日本経済評論社【写真E】。'94年星寛治、高松修編著『米―いのちと環境と日本の農業を考える』学陽書房【写真G】。'99年日本有機農業研究会編『有機農業ハンドブック』農文協【写真H】。'03年アルバート・ハワード『農業聖典』コモンズ【写真I】。'05年大金義昭『風の中のアリア―戦後農村女性史』ドメス出版【写真L】等々を装幀。
◆「農」への目を耕してくれる通信
わたくしの当時の事務所が家の光協会に近かったこともあり、農協青年部の方々がよく訪ねて下さいました。そのお一人が宮城県角田市の面川義明さん。社団法人角田市農業振興公社の農業実践塾の副塾長でもあり「あぶくま農学校」ブランド商品のセールスプロモーションで東京の百貨店へも顔を出される由。
NHKテレビやラジオの農業のいまを検証する番組では根源的な問題提起をして、わたくしのような食べるばかりの人間の、責任の場所を気付かせてくれます。
彼から届く米には必ず「宮城かくだ発たんぼ通信」が入ってきます。作業の経過、天候もふくめての様子や展望のレポートの一頁目には稲穂が4、5本束にされてシールで止められているのです。嬉しい限り、香りを楽しんだ後は油で揚げて頂きます。写真(1)【左】の左下の冊子も洒落ています。あぶくま農学校のシンボルの麦わら帽子は耕す人と田んぼに集まる虫たちで構成されています。様々ないのちと共にある農業を目指す姿と受け止めています。帽子はまるで銀河系のよう…。
◆どこでだって故郷PR!
写真(2)【右】はきもの地の大島紬で作られた手甲。本年8月30日東京で開かれた山形県庄内町のだだちゃを食べる会で知り合った松田たまさんから頂いたもの。埼玉県川越市で「ギャラリーたま」という庄内弁で庄内を紹介する店の主。シソ巻きなどの名物も揃えておられるとのこと。
方言は土地の宝、早くに故郷を離れたわたくしの憧れ。
A:「水の思想」 玉城哲 論創社 (1979.5)
B:「農の美学 日本風景論序説」 勝原文夫 論創社 (1979.9)
C:「利根川 その治水と利水」 佐藤俊郎 論創社 (1982.9)
D:「カナートイランの地下水路」 岡崎正孝 論創社 (1988.11)
E:「須恵村、1935〜1985 写真民族誌」 ジョン・エンブリー 牛島盛光(撮影) 日本経済評論社 (1988.12)
F:「近代日本、都市近郊農業史」 渡辺善次郎 論創社 (1991.5)
G:「米―いのちと環境と日本の農を考える」 星寛治・高松修編著 学陽書房 (1994.3)
H:「有機農業ハンドブック 土づくりから食べ方まで」 日本有機農業研究会編・日本有機農業研究会 (1999.1)
I:「農業聖典」 アルバート・ハワード(他) 日本有機農業研究会 (2003.3)
J:「食べものと農業はおカネだけでは測れない」 中島紀一 (2004.11)
K:「百姓が時代を創る」 山下惣一・大野和興 (2004.12)
L:「風のなかのアリア―戦後農村女性史」 大金義昭 ドメス出版 (2005.3)
M:「いのちの秩序 農の力―たべもの協同社会への道」 本野一郎 (2006.2)