このところマスコミ、週刊紙・誌も他の大きなニュースが多くて農協関連の記事の扱いは静かになった。週刊ダイヤモンド(6月25日)と日経新聞(6月7日)に全農解体論のような記事が過激な見出しで掲載されていた。世間は忘れても書かれた方はいつまでも覚えて傷つくものだ。行政から業務改善命令が何度も出されているのに、誠意ある回答が出ない、目立った改善もない、責任も取っていないという論調だった。農政の方向を定めた基本計画の中に「政策対象を主業農家に限る」と明確に書き込めなかったのは農協が反対したからだ(日経)、というような意見も発表された。ここ数年、行政に全農は覚えが愛(め)でたくないのである。しかし、日本農業の衰退が、農政になく、あたかも農協や全農に原因あるが如き主張は如何なものか。不祥事は幾つも表面に出てきたが一つ一つ丁寧に解決されてきたと思うし、日常業務の他に再発防止にも職員は真面目に議論し全力を尽くして手直ししてきた。理事長、専務、担当常務が総代会までの任期を待たず辞任するという社会的責任も取ってきた。それでも行政は生ぬるいと感じ、「解体的出直し」を言っているようにみえる。
全農の事業は各専門分野ごとに自由競争して生き残ってきた。行政が「解体」を叫ばなくとも、手を貸さなくとも価格・品質・サービスの経済競争に負ければ全農は潰れる。例えば、肥料事業は大手商社や商系メーカーと長年自由競争にさらされながら半分以上のマーケットシェアを維持している。それだけ組合員・需要者・関係メーカーから農協組織が信頼されている証拠だと思う。高い価格の肥料を無理に需要家に押し付けるような仕事のやり方をすれば、反発され、行き詰まる。数々の法律もクリアーしてきている。肥料だけでなく全ての品目で競争している。収益が出れば続けるし、赤字であれば設備を売却し事業を見直しする。事業部独立採算的な厳しい競争である。全農解体論などは40年前から競争相手の商社幹部が唱えていた。彼らの一部が経団連幹部になり、財界の農協つぶし論に肩入れした時代もあった。それも農協パワーと行政が農協を全面的サポートしてきたから克服できた。この頃の行政が消費者に過剰に体重をかけ全農を「解体的出直し」と言うのはポピュラリズムで納得いかない。何故、農協運動の理解者だった行政が全農にたいし厳しい態度に変化したのか推測してみた。
アメリカの農業貿易が影響しているからではないか。アメリカにとって日本は最大の農産物市場である。牛肉も米もアメリカは大量に生産できる、アメリカの農家は日本の消費者ニーズに依存していると農務長官はホームペ―ジでも公言している。日本の行政も生産者よりも消費者ニーズに重きを置くようになった、日本の生産者団体のトップ全農がじゃまになると考えるのが自然だ。アメリカが行政を通じて全農潰しをしようとしているのであれば、全農解体論は分り易い。更に、穀物で競争相手のカーギル社などはアメリカ政府を自由に動かせる。商売上カーギルは全農のライバルである。アメリカは有能な人材なら官から民へ、民から官へも人事交流する。もし、そうであれば、全農解体論に対する対策は立てやすい、一挙に展望が開けるではないか。