東京のこの地に、小さな中古住宅を購入、引っ越して30年になるが、近所では未だに新参ものである。近くに稲荷神社と一向宗の寺院が隣接していて、昔からの地元の人も多く住む。江戸の中心が日本橋にあった時代は、この地は農業地帯、明治になって世田ヶ谷村となる。第2次大戦後、急激に東京へ人口が集中する。都市計画がきっちりしないまま、農地の売買が行われ、乱開発が進んだ。
この地域も中小の戸建て住宅が乱立し、現在までその現象が続いている。道路が入り組んでいてタクシー運転手の嫌がる地域である。この敷地は都市農業を続けているKさんの畑であった。Kさんの祖父が亡くなって相続問題が発生し、この辺りはKさんの叔父叔母に遺産分割された土地らしい。
5年前に自分の家を耐震改築した際、古い水道管を取り替えねばならず、地主のKさんに相談を持ちかけた。畑地で奥まった家だから、私道を掘り起こすのは近所の家に通知するだけで済むが、支流から公道地下を走る本流の水道管に接合するためには、公道を掘り起こす工事が必要になる。この公道は、実はKさんの叔父叔母の名義だという。掘り起こす作業には、彼らの承諾が必要。叔父叔母の住所を聞いて訪ねたが、老齢で本人は入院中、家族が居ても若い世代に代替わりして全く要領を得ない。畑を住宅地にして売り出す時に、販売戦略上、住宅購入者へのサービスか住民への寄贈として広めの道路をつけたことが真相だった。公道と思っていたのは私道。早く公道=世田谷区の管理道路にするよう要請しなさいよとKさんは傍観者的にいう。それには分譲地を購入した30軒余の住民が一つにまとまって役所と交渉しなければならず、そのような役を引き受ける人はいない。
都市で農業をつづける農家は、相続となれば、億単位の膨大な税金の支払請求が来る。良質な農地にはすぐマンションか賃貸住宅が建てられ、農家の敷地は激減する。そのマンションも必ず満室になるとは限らず、空室も多いこの頃である。
都会のオープンスペースや緑地が減少し、景観が損なわれる。日本の都市農業は金額では3分の1にもなるといわれるがまだまだ未解決の難問題が山ほどある。市街地の農家は苦悩し、土地を分譲された新参住民もすっきりしない。「社会保障と税の一体改革」で消費税が国会で熱く議論されそうだが、都市農業を支援する市街地農家の相続税などに政治家が関心もつのは何時の頃になるだろうか。