私は次のような5カ条を14年前から全国の農村、特に中山間地域の皆さんに呼びかけてきた。
1、牛の「舌刈り」で耕作放棄地と荒れた里山をよみがえらせよう。
2、牛がいなければ"Rent A cow"を実践しよう。牛を借りてくればよい。
3、放牧のリーダー牛の育成を畜産試験場などの指導機関に要請しよう。
4、牛の放牧でイノシシやシカなどの野生動物が出て来ないようにしよう。
5、購入飼料費を減らし、輸入飼料穀物を減らし、食料自給率の向上に努めるとともに、中山間地域で放牧牛がゆったりと遊ぶ魅力ある新しい農村空間を創り出そう。
この私の5カ条を着実に実践に移している地域が全国各地、特に西日本の中山間地域で増えてはきているが、まだ点にすぎない。これを線に伸ばし面に拡げるよう、改めて全国の農村の皆さん、特に中山間地域の皆さんに呼びかけたい。放牧は乳牛も含む牛全般を対象としているが、乳牛は難しい問題もあるので当面の呼びかけは和牛の繁殖牛と育成牛に絞りたいと思う。
この5カ条を実現するうえで基本となるのは、1つは電牧器と電気牧柵であり、いま1つは、草を放牧で食べる技術を習得したリーダー牛である。
◆牛の“舌刈り”の準備を
電牧器の電源は家庭用電源も利用できるが、今では安価な太陽光発電器(ソーラーシステム)があり、重宝である。それに軽量な扱いやすい電牧線(ビニールに導線を巻き込んだもの)を木柱でも竹柱でも硬質ビニールパイプでもよい、それを打ち込んで張ればよい。お年寄りでも女性でも簡単に張り巡らせることができる。
舎飼いの牛は放牧しても草の食い方が判らないので、リーダー牛を1頭入れればよい。牛の学習能力は高く、電牧に一度ふれれば決して脱柵しないし、草もきちんと食べれるようになる。
その他の必要条件は、水飲み場があること(美しい水の流れる谷川があればそれでよい)、岩塩を用意しておくこと、などがあれば小屋などなくても木陰さえあればよい。
◆耕作放棄地と里山をまとめよう
耕作放棄地にはセイタカアワダチソウ、ススキ、クズなどが茂るが、いずれも牛の好物である。里山にはササや竹が繁茂しているが、これも牛の大好物である。これらを食べつくすとノシバが勢いをつけてくる。ノシバは安定的な牛の餌になり、景観もよみがえってくる。また、牛は30度という急傾斜地でも平気で牛道を造り、上り下りできる。
放棄された棚田や急傾斜畑を救い、また、荒れた里山をよみがえらせるには、牛の舌刈り(人手による「下刈り」ではない)しか方法はないと私は信じている。
しかし、耕作放棄地は必ずしもまとまっておらず、点々とある場合も多い。農地の利用調整をいかに行うか、荒れた里山の地権者にいかに放牧の了解を得るか。今こそ、農業委員やJA関係者などの出番であり、その責務は重大である。農林水産省は最近、耕作放棄地の詳細調査を行った。各市町村ごとにそのデータは判っているはずである。耕作放棄地の解消と農村景観回復、食料自給率向上の拠点としての放牧活用の地域名も是非公表して、この私の提唱する運動の普及をはかってほしい。
◆先進事例に学ぶ
そこで、先進事例の一端を示し、これから取り組もうとしている地域の参考に供したいと思う。
8年前、群馬県のJA甘楽富岡を訪ねた折、桑園は荒れて放置され、里山もクズやカズラに覆われて荒れ果てている光景を見た。生糸の自由化と暴落により放置されるに任されている光景であった。
JA甘楽富岡は全国周知のように、多彩な野菜産地への再生をめざし、その販売戦略のトップ・ランナーとして日本中の注目を集めていた。その仕掛人が当時JA甘楽富岡の営農企画本部長をしていた黒澤賢治氏であった。その黒澤さんに、はじめに述べた私の5カ条を懇々と説いた。
彼は私の意を受け、そのあとすぐに"Challenge 500"という構想を立て、管内の組合員に放牧の実践に取り組むよう方針を打ち出した。その構想を具体的にみると、5年後に繁殖素牛を「500」頭にして、放牧に全面的に取り組み、耕作放棄地を無くし、荒れた里山をよみがえらせようという具体的な路線を設定した。この地域は、かつて銘牛のほまれの高かった「紋次郎」の血を引く牛が多く、市場での評価は高かったが、野菜産地として伸びるだけでなく、牛の産地としても大きく飛躍するためには、放牧路線に全力をあげようと呼びかけたのである。
それは見事に稔り、昨年末には母牛頭数は543頭になり、ほぼ1年1産で500頭近くの子牛を販売するまでになった。その上、放牧で育った子牛であるため、足腰などの骨格は強く、陽の光を浴びているので色つやも良く、高値で取り引きされているとのことであった。
◆放牧農家を見る
そこで、富岡市の放牧農家、茂木正雄さんの事例を紹介しておこう。放牧場の入口には、2基の太陽光発電器が据えつけられ、打ち込んだ丸太の杭や硬質ビニールパイプにリード線(電気牧柵)が張られて、牛の脱柵を防ぐようになっている。牛の学習能力は高く、一度「ピリリ」とくれば決して電牧には寄りつかないと言っていた。牧場の入口には鉄パイプを組み立て、波板で天井を覆っただけの風通しの良い小舎と水飲み場、そして岩塩が置かれているだけの設備で、ほとんど投資はこれだけで、安上がりだと茂木さんは言っていた。あとは牛が自由に餌となる草を求めて牛道を造り、谷間に降りたり、山を登ったりしている光景が見られた。
牛は特に立ち木に巻きつく山芋やクズなどのつる類や竹やササ、ススキなどを好んで食べるので、シイタケの原木となるクヌギなどの管理にはもってこいだと茂木さんは話していた。その上、ふんや尿は肥料となり、クヌギの伐期も早まってきたと話してくれた。この茂木さんの放牧の実績を見て、裏側の山の山林地主さんが「私の山にも放牧してくれないか」という話が来ていると私に話してくれた。さらに茂木さんの牛が食べつくしてきれいになったかつての耕作放棄地に、畜産草地研究所の技術陣が来てセンチピードグラスというノシバの改良品種の栽培試験を行っている場面にも出会った。このような着実な実践の中から、新しい技術開発も生まれてくる、と実感した。
ともかく、JA甘楽富岡管内の和牛放牧による耕作放棄地の解消や里山景観回復の実態を見学したいと、現地視察の希望が絶えないで対応に時間をとられ弱り切っているとJA甘楽富岡の担当者は嘆いていた。先進地視察も大事だが視察だけでは駄目だ、実行に移してほしいと訴えたい。
イラスト:種田英幸
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