ミャンマー(ビルマ)が5月はじめ、とてつもないサイクロンに襲われた。死者は10万人を超えるともいわれるが、軍事政権が各国からの救援を阻み、水も食料も被災者になかなか届かないという。何しろミャンマーは、一人当たりの米の消費量が日本の2倍、生産量は3千万トンという米頼りの国、その6割を占める穀倉地帯が被災に遭ったというから悲惨だ。なのに、この国の軍政は非常事態の最中に自らの権限の維持を狙う新憲法案の国民投票を強行。
政治と国民意識の甚だしい乖離は日本も同じ。折角下がったガソリンを再値上げ。道路特定財源特例法案を再可決。これを宗教評論家のひろさちやさんは、「狼と羊の民主主義」と皮肉る。衆議院で多数の狼と少数の羊が夕食の相談をして羊の肉を食べることにしたが、羊の多い参議院では羊の肉は食わないでほしいと否決。しかし衆議院の狼どもは再び羊の肉を食べようと決める図式だと。これが日本人の誤った民主主義、多数決理論の理解だともいう。
また、ひろさんは、日本人は「赤信号皆で渡れば怖くない」式の主体性に欠け、批判精神がないと手厳しい。皆が赤信号を渡ろうとも自分は渡らない、皆が食品偽装しても自分はしない、世の中の風潮がどうあろうと悪いものは悪い、善いものは善いと判断できる主体性、批判精神、すなわち「良識」が日本人にはないという(以上、著者の「日本人の良識」より)。
さて、さて裁判員制度なるものが、来年5月までにスタートするそうだ。これには国民の8割が参加したくないという。下手をすると、これまた後期高齢者医療制度の二の舞ではと思ってしまう。法律を知らない、ずぶの素人(勿論、職業裁判官と一緒だが)が「常識」と「多数決」で刑事事件、しかも殺人罪などの重罪事件を裁くのだというから、何とも怖ろしい法律をつくったものだ。ひろさちやさんじゃないが、「赤信号…」式の主体性のない、良識のない日本人にこんな役目が務まるはずがない。どだい、こんな法律をつくること自体が政治家、いや、彼等を選んだ国民に良識がない証左なのかもしれない。
この伝でいわせてもらえば、今、冒頭のミャンマーをはじめフィリッピンなど、アジア諸国は穀物価格の高騰や米不足で危機的状況。いわば、アジアは非常事態。それなのに、日本の農業政策や米対策は相変わらず国内だけしかみていない。一頃いわれた東アジア米備蓄構想など、もっと視野を広げた柔軟な戦略的な発想、何より良識のある国、国民に脱皮しなくちゃ、この国は沈没する。