コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
「出会い」に感謝

秋貞淑(ちゅ・じょんすく)  東京に一つしか残っていない路面電車(都電)が走る...

秋貞淑(ちゅ・じょんすく)
秋貞淑
(ちゅ・じょんすく)

 東京に一つしか残っていない路面電車(都電)が走る荒川区の下町で、私は夫と二人暮らしをしている。同じ韓国人ではあるものの、出身地や成長期を過ごした地域が異なるのみならず、年齢も私のほうが多く、私たちにはこれといった接点などなかった。韓国に居たなら出会える確率が殆どなかったはずの二人は、異国の地、東京で出会った。
 夫も私も、さほど「長居」をするつもりではなかった来日であったが、大学の卒業を目前にしていた夫は、大学を出ただけで生きるために必要な学問は十分過ぎると言い、社会人としての第一歩を日本で試みることにし、社会人として十年以上を揉まれてきた私は、心の奥底にあった学問への未練を捨てきれず、日本文学を学ぶため新たに大学一年生となった。
 私たちは、それぞれが選択した、それぞれの道を歩みだした。生きることじたい、予期せぬ出会いと出来事の連続であろうが、何の縁故も馴染みもない東京での生活は、それこそ、予期せぬ出会いと出来事の続出であった。夫は、幾つかの職を転々としながら、自分なりの生き方と居場所とを模索したし、私は、学部を終え大学院へと、懲りることなく贅沢な学生生活を続けた。
 頼れる人のいない生活とは、全てを自分でやりこなせなければならないことであって、それは何より時間を要した。学業やアルバイトに追われる毎日であったが、私はできるだけ食事は自分で作って食べようとした。経済的とか健康的とか、または、味の好み云々とかではなく、それは、韓国にいる時からの私のちょっとした拘りである。お金があれば食べることはできるかもしれない(けっして絶対ではない)が、お金を食べることはできない。食べ物は自然の産物であって、誰かの汗の結晶として、われわれに届けられる。都会での生活ばかりしていて、米も野菜も何一つ自ら育てた経験がない私である。命の糧をいとも簡単に頂く。食するために、それらを洗うなり、刻むなり、熱を加えるなりと、僅かながらも手間をかけようとするのは、都会人としての後ろめたさから逃れるための私のささやかな儀式(?)である。
 夫は、結婚する前から、時間がある時は、私の所に来て、私の作った食事を一緒にとっている。以前は、作り慣れているキムチチゲや味噌チゲ(チゲとは、汁と煮物の中間くらいの具沢山の暖かい汁物で、一年中食べる韓国料理)などが多かったが、最近は、和食も少し作られるようになった。食することは、お腹を満たしてくれるのみならず、張り詰めている異国の生活での緊張をも解してくれて、私たちは食卓を挟み、時にはお酒も交わしながら、色々なことを本音で語り合ったりする。その生活がもう16年も続いている。
 今年、もう一つ予期せぬ出会いが私に訪れた。『農業協同組合新聞』との出会いである。活字とは、時空間を越えて人と人とを繋げてくれる。記憶や日常の中からこぼれてくる思いや感覚などを拾い上げ、夫と囲む食卓での語り合いのように、気張らずにそれらを語ってゆきたい。

(2007.04.11)