今のソウルは東京と変わらない大都市であるが、私の子供の頃は、都心から少し離れると田んぼや畑などが広がっていて、都会と田舎とはさほど明確な区分などなく共存していた。
しかし、急激に都市化が進み、いつの間にか田畑は姿を消し、ソウルは、高層ビル・マンションが建ち並ぶ町へと変貌した。
1960年代半ば以後、ソウルの面積がほぼそのままであるのに対して、人口はこの40年間に3倍以上も増加した(2007年1月1日現在、ソウルの面積は605平方キロメートル・人口は1032万人)というから、仕方のない変貌かもしれない。
そのようなソウルで暮らし、その後は東京で生活していた私は、田舎らしい田舎と接する機会がなかったものの、結婚を機に田舎の暮らしぶりを垣間見、そして、そこに住む人たちと触れ合う体験ができた。
夫の故郷は、韓国の南の山間にある高霊(ゴリョン)という町である。古代部族国家の1つである伽耶国があった歴史深い地域であり、古墳などの遺跡が多く残っているが、交通の便が良くないせいか観光地化されておらず、長閑な農村の町である。そこには稲作をやっている祖父宅があって、結婚を前にし、挨拶に訪ねたことがある。
夏のある日であったが、村の入り口には樹齢数百年の大木があって、その木陰にコザを敷き、村のお爺さんたちが、うちわを片手に将棋を指していた。祖父宅は、村の入口のすぐ近くの少し高台の所にあった。
家に入ると、敷地の一角に牛小屋があって3頭の牛が飼われていた。裏側には豚小屋もあるようで、ブウブウと豚が鼻を鳴らす声が聞こえてきた。そして、敷地内のあちこちに鶏が跳びまわっていた。
集まった親戚一同に挨拶を済ませたのち、少し歪んで軋む音がする縁側に座って一休みをしていると、祖父が夫のお土産である日本のタバコを1箱持ち、お爺さんたちのいる大木の所に行き、自慢げに1本ずつ分けてやっていた。ちょうど遠くの西山に日が隠れる時刻であって、お爺さんたちの呑むタバコの煙が薄暗がりのなかを立ち昇っていた。
その日は、遠方からも親類たちが訪ねてきて、入れ替り立ち替り夜遅くまで食卓を囲んだ。翌日は他の親戚宅で似たような集まりがあった。
それから7年ほど経ち、韓国の古代文化を研究する日本人の大学院生を3人連れて、祖父宅を再び訪れた。家は建て直され、牛小屋はなくなり、軋む縁側もなくなっていたが、村の様子は殆ど変わってなかった。
私たちの訪問を祖父母は大変喜んでいて、親戚の叔母さんたちを呼び寄せ、色々な料理を準備させていた。その日の夜も、夫の両親をはじめ、離れた所に住む親戚までが20人以上集まって賑やかに食卓を囲んだ。
彼女たちは目を丸くして、「今日は何か特別な日なの」と聞いてきた。「日本から孫嫁が日本人のお客さんを連れてきた日だから」と答えたら、首を傾げていた。
最初は戸惑っていた彼女たちも、韓国の田舎料理を食べ、マッゴリという濁酒を味わっているうち、緊張が解けてきたのか、それとも田舎の人の人情が伝わってきたのか、いつの間にか、親戚たちと身振り手振りを交えながら、何かと楽しく話し合っていた。
そして、翌日、彼女たちは母親に誘われ銭湯に行っていた(私は遠慮したものの)。田舎の人の大らかかつ飾らない気持ちに、改めて感服した旅であった。