高校時代、父親が少年院の院長をしている友人がいて、その友人の誘いで、夏休み、ソウル近郊の山間にあるその少年院を訪れたことがある。
広い敷地には、少年たちの学校と宿舎、彼らが耕す田畑や養豚・養鶏場などがあり、敷地の奥にこぢんまりした院長の官舎があった。
一泊する予定であったので、日中は、敷地のなかを見学し、野菜畑の仕事を手伝った。夕食後は、官舎の庭で、篝火を囲み、少年たちが差し入れしてくれたトウモロコシやスイカを食べながら、友人のお父さんが聞かせてくれる少年院にまつわる色々な話を、驚きと苦しみを感じつつ、夜遅くまで聞き入っていた。
それから、10数年後、同じ職場の同僚から、自分の通う教会が、月に一度少年院を訪問し、少年たちの誕生会を開いてあげる奉仕活動をしているという話を聞き、長年忘れていた高校時代の貴重な体験を思い出した。そのような少年たちと触れ合ってみたいと思い、その活動に参加させてもらった。
バースデーケーキをはじめ、全ての料理は、手作りに限るという方針であって、月毎にメニューを決め、参加者や支援者が皆分け合って作り、ささやかな誕生日プレゼントを準備して訪ねて行き、少年たちとそれを一緒に食べ、歌やゲームを楽しむという気負いのない活動であった。既に10年近く続いている活動であり、少年院の行事の一環として定着していたので、これといった大変さはなく、私も1年ほどその誕生会に加わっていた。
日本に来る数ヶ月前、少しまとまったお金が入ったので、その少年たちのため、最後に何かしてあげたいと思った。思案を巡らした末、役に立ちそうな本を少し揃えてあげようと思い、牧師先生に会ってその旨を伝え、お金を渡した。
次の誕生会の日が来た。その日は、いつもとは違って、焼肉パーティーとなり、牛肉をはじめ、色々なご馳走が準備されていた。少年たちが歓声をあげ、勢いよく肉を頬張るのを見て、私は「本」が「肉」に化けたことに気付いた。
意外であったし、納得行かない気持ちもあったが、牧師先生に一任したことなので、しょうがないと思った。
帰りのバスで、先生は私の隣に来て、「「本」ではなく「肉」だったので、がっかりしただろう。しかし、彼らには「本」より「肉」が必要なんだ。「本」を手にする人は、一部であろうし、何かを感じたとしてもそれは個別なことであるが、「肉」は皆が一緒に食べ、同じ美味しさと満足感を共有できる。これこそ、彼らには忘れない思い出になるんだよ。寂しく思わないで」と、やさしい口調で言ってくれた。
私は、自分がどれほど自惚れた目線で彼らと接していたのかに気付かされ、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。それと同時に、幸せそうにはしゃいでいた先ほどの少年たちの笑顔が浮んできた。
それ以後、私は食を共にすることの大事さ、そして、食は何にも増して人を喜ばせるものであるということを忘れないようにしている。
今の日本は、一億総飽食時代といわれる一方、ネットカフェ難民に転ずる若者、食を共にする相手のいない人や夜中まで繁華街をさ迷う青少年など、お腹を満たしながらも食の喜びを知らない人が増えている。
薄れてゆく人間同士の連帯感、この辺で何とか修復の道を見つけてほしい。