人の親の 心は闇に あらねども
子を思ふ道に 惑ひぬるかな
『後選集』にもみられる、三十六歌仙の一人、藤原兼輔の詠歌で、入内して間もない娘、桑子のことを案じ、醍醐天皇に届けた歌。
『源氏物語』をはじめ、後の物語が、子を思う親の心を歌う時、幾度となく用いた引歌であり、古典文学に接したことのある人には馴染み深い歌であろう。
わが子のためなら、体面を顧みる余裕さえ失する男親の心情が真率に表れている歌であり、嫁ぎ先は別にしても、今の父親も相通ずる気持ちを持つのではなかろうか。
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とはいっても、父親との縁が薄い私にとって、男親の心情など、実体験のない感想に過ぎない。生まれてから3年程は、父親と共有した時間があり、僅かながらその時間の破片が記憶の奥底にあることはある。しかし、それらの破片は、割られたばかりの歪さと鋭さを持したまま仕舞われている。そろそろ、それらを取り出し、きちんと向き合うべきであろう。
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このような思いに至ったのには、ちょっとしたきっかけがある。
先月、夫の父親から一通の手紙が届いた。初めての手紙であった。電話で済ませない話ってなんだろうと、訝しい思いがしたが、案の定、楽しい話題ではなかった。
その内容は、72年間の自分の人生への回顧と、いざという時の頼み事であった。既に、30代の半ば、万が一の事があったら、全臓器を寄贈することにしてあったという。しかし、この年齢になったので、これから可能なのは、角膜寄贈と献体のみであり、特に角膜は時間を争うことなので、臨終が近付いたら迅速に登録先へ連絡を入れるように、そして、献体のことも所定の大学に約束通りに預けるように、という旨とそれぞれの連絡先が記されていた。
これといった持病もなく、タバコやお酒はむろん過食などもしない健康的な生活をしている父親であって、遺言めいた手紙を前に、急な虚脱感が襲ってきた。
翌日、気を取り直し、私たちは、それぞれの思いを書くことにした。物などを送る時、一筆を添えたりはしたが、改めて手紙を書くのは初めてであった。でも、自分の気持ちや考えなどを隠さず認めた。
夫も大学の時分、奨学金とアルバイトでは、どうしてもやっていけない時があって、何回か「郷土奨学金」(親からの仕送りのことを韓国ではこう表現する)を申し込む手紙を送ったことがあり、それ以来ほぼ30年ぶりの手紙だという。
夫は、暫く使ってなかった万年筆を持ち出し、手入れし、インキを入れ直しながら、書き損じを何枚も出しつつ、丸一日をかけ、便箋5枚の手紙を書き上げた。相当頑張ったらしく指先に章魚ができていた。そして、一度聞いてくれると言って、読み出した。淡々とした文面であったが、読み終えた夫の目には薄らと涙が浮んでいた。それを見ると、胸が熱くなった。手紙そのものより、涙を浮かべる様子から垣間見られる親子の絆が感動であった。
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韓国では、5月8日が「両親の日」(元来は母の日だったが、父も一緒にしてあげた)であって、手紙はちょうどその前日、親の元に着いた。
日本では、6月第3日曜日が「父の日」である。和歌がコミュニケーションの必要不可欠な手段であった平安時代ではむろんなく、手紙より遥かに便利な携帯やパソコンのメールが主流を成している21世紀の今、父親の心の中は、容易には覗けない。
しかし、日本の自殺者の7割以上が、家計を支え切れなくなった男性だという。子を思う親の心が闇に迷うことは、昔も今も変わらぬとはいえ、親は、生きていてくれるだけで、子にとっては、掛替えのない人生の支えである。世のお父さん、ファイト!