コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
雨の季節に 

-雨傘物語-

 「誕生日のプレゼント、何がいい?雨傘はどうかしら?」という友人からの電話。自他が認める雨女である私は、「雨傘を」と即答した。「では、長傘と折り畳みと、どっち?」。それにも、「長傘」と、遠慮の素振りもみせず、二つ返事。
 数日後、友人からの傘が届いた。別途に送られたカードには、次のような文面が認められてあった。

 「誕生日のプレゼント、何がいい?雨傘はどうかしら?」という友人からの電話。自他が認める雨女である私は、「雨傘を」と即答した。「では、長傘と折り畳みと、どっち?」。それにも、「長傘」と、遠慮の素振りもみせず、二つ返事。
 数日後、友人からの傘が届いた。別途に送られたカードには、次のような文面が認められてあった。
 「プレゼントを選ぶことは、楽しいことです。通販のようなそっけない買い物は好きではありません。じっくりと目で見て、比較し、納得ゆく物を、その作り手である職人を応援する気持ちを添えて買うようにしています。「パカッ」と開く傘は、人様に危険だし、水滴を飛ばすこともあるので避けます。それに、傘を差す動作も女の人らしく素敵だと思うのです。空を見上げてくるっと傘をまわして、ボタンをはずし、おもむろに差す」
 自動開きの傘の危険性は常々感じていたが、傘を差す仕草に気を配ったことはない。それに、殆どの買い物をインターネットで済ませている私には耳の痛い話であった。とはいえ、昭和の香りの漂うその文面の優雅さにしばらく気を取られていた。
 ちなみに、傘が届いた翌日から、一週間ほど、雨の日が続いた。梅雨に突入する一ヶ月も前だったのに。友人も「あら、不思議ね!」と言った。誕生日プレゼントを通して、名実相伴う雨女であることが見事に立証された。
                           *       *
 高校時代の雨にまつわる話を一つ。放課後、図書館で本を借りたりして出てくると、雨が降っていた。しばらく待ってみたが、止む気配がなく、さほど強い雨でもなかったので、ひとけのない校庭を歩き出した。
 すると、後ろから急ぎ足で近寄って、傘を差してくれる人がいた。数学の男の先生であった。「結構です、大丈夫です」と言いながら、二三度傘から離れたが、先生はその都度近寄って私を傘に入れてくれた。そして、「他人の親切を受け入れられない人は、他人に親切にはなれない」と言った。それを聞いて逃げるのを断念し、バス停まで先生と一つ傘で歩いた。
 緊張から解放され、バスに揺れながら、先生の言葉を思い返してみた。その意味が十分理解できたわけではないものの、他人の親切を素直に受けることが容易ではないのは身をもって感じた。それからは、少しでも雨の確率がある時は、傘を持参する。
 今はその先生の顔も名前も忘れてしまったが、その言葉は記憶にとどまっていて、時々思い起こされる。そして、他人の親切を受け入れることは、受動的な行為ではなく、能動的な応対であり、それ相応の思慮が必要だということが分かってきた。
 そういえば、いつからか、見知らぬ人を傘に入れてあげたり、人の傘に入れてもらったりすることが、めっきり見られなくなった。私自身、年配の女性には、傘を差し出した覚えがあるものの、大体の場合、傘のない人の傍を素通りする。
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 利便性が優先され、人間関係は希薄になり、味気のない物騒な昨今である。人様を気遣いながら傘を差す女性も、一本の傘が取り持つ人の縁も、もはや、昭和物語の中の一コマなのかもしれない。しょうがない。でも、さびしい。

 

(2009.06.25)