トンボはどこに飛んで行ってたのかって? 別に雲隠れしたわけではないが、水路の整備やらなんやらでとかく住みにくくなったものだから、一箇所に落ち着けるところを探していただけである。農薬のせいで死んでしまったのかと思った方もいるかもしれないが、残念ながら農薬は適正に使用されているところばかりだから死にはしないのである。どちらかというと、世間様の様子を伺いつつ、いわゆる充電をしていたのである。
そうこうしていると、奇特なお方が「トンボの話を久しぶりに聞いてみたい」とおっしゃるので、「しょうもないのに聞いて下さる方もいらっしゃるのだ」といささかいい気になって独り言を再開させていただく次第である。これは申し訳ない、久しぶりなものだから、つい前置きが長くなってしまったようである。では、本題に入らせていただく。
トンボが前回に「天然=無毒」と言い切れるだろうかと述べたのを覚えている方はいらっしゃるだろうか? 久しぶりなので、「毒」のことのおさらいから始めてみたいと思う。
いったい毒とはなんでしょう? という問いに対し、多くの方が「そりゃ簡単な質問だ。飲めばすぐに死んでしまうものを言うのだよ」とお答えになるようである。はて、そうであろうか。確かに青酸カリのように飲めばイチコロのようなものがあり、毒に対しては怖いイメージがつきまとう。けれども、この世には色々な物資があり、天然物質や化学物質やらそのどれもが多かれ少なかれ毒性を持っているのである。このことは、幾度となく農協新聞さんでも取り上げられているので、多くの読者の方がご理解なさっていると思う。
そう、毒というものは、「あるかないか」ではなく、「強いか弱いか」で判断しなければならないものである。農薬にしろ、医薬品にしろ、物質が持つ毒性を上手に使っているに過ぎない。逆にいうと毒性があるからこそ、薬にもなるのである。昔から、何の役にも立たないことを指して「毒にも薬にもならない」というではないですか。
ところが、現在の農薬に対する反応をみていると、「虫が死ぬから毒だ」とか「草が枯れるから人間にも影響があるだろう」といった非科学的なものが多いような気がする。人それぞれに考え方があるので、全否定するつもりはないが、それが「全て正しい」と思いこむのはどうかと思う。農薬の毒性試験って「これでもか!」というぐらい安全性に関する試験データが求められ、虫は死ぬけど人やトンボには大丈夫だとか、草は枯らしても人は枯らさないなどの証明データがきちんと整備されている。
ADIや基準値にいたっては、動物実験で毒性を示さないという量からさらに100倍も1000倍も安全見越した数値が採用されている。トンボは、世の中に農薬ほど特性や安全性が明らかにされている物質はないと思うのだがいかがであろうか?