コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
「ノリ上手・ノセ上手」

 75歳の誕生日を迎えた。今のわたくしのウリは、63歳から俳句を始め、昨年定年を...

 75歳の誕生日を迎えた。今のわたくしのウリは、63歳から俳句を始め、昨年定年を迎えたが、64歳から大学の非常勤講師、69歳から歌手デビュー、73歳からハンドベルの奏者たらんと志して猛特訓中と、長寿時代の恩恵をたっぷりと享受しながら生きている、その生き方そのものがウリとなっている。
 人生50年時代は男も女も社会が要求する役割だけで生き死にさせられていた。一口に男、女と言っても、皆、顔も違うし名前も違う。ということは、もって生まれた個別的な能力、才能、人柄は1万人の男がいれば1万通りの違い、10万人の女がいれば10万通りの違いがある。それなのに、それぞれの役割に不必要と思われる能力、才能は「男のくせに」「女のくせに」と切り捨てられ、先輩たちはたわわな個別的な能力、才能の在庫品の存在さえ気づかず、死蔵したまま死んでいった。
 わたくしの夫の母は、商家の主婦だったが13人の子どもを身ごもり、男の子ばっかり9人を産み育て、わたくしの夫は末っ子だった。「わたしは子供を産んで育てることしかできない」とある時ぽつんと言ったことがあったが、人生50年時代に13回身ごもり9人の子供を産み育てたら、在庫品に巡り会って、花と開かせる機会に巡り会うはずもなかった。
 ありがたいことに人生90年時代、少子時代に巡り合わせた私たちは、人生の最終ステージに「わたしってまんざらじゃないのよね」と自己肯定する機会にたっぷりと恵まれるようになった。
 今年の春、わたくしの俳句が一句、歳時記の例句に採用された。出版社からの連絡の電話が終わった後、わたくしはちょっぴり声を放って泣いた。人から認められる機会の乏しくなった高齢期に、まいた種が花咲いたことが無性に嬉しかったからである。人生長くなったら、無駄だと思っても種まきをしなくては刈入れの喜びを味わいつつ生きることは出来ぬと改めて悟らされたからである。
 才能の在庫品にどうしたら出会うことが出来るか。ズバリ一言。「人のおだてにノッてみる」。それを教えてくれたのは九州のJA部長の古賀さんだった。まだ50代になったばかりのわたくしは「女が互いの能力を伸ばしあって生きるためには、ノリ上手、ノセ上手にならなくちゃ。自己肯定できないと他人を肯定してひと持ちにはなれない」といった古賀さんの言葉が心に焼き付いて離れなくなった。わたくしのウリの高齢期はその言葉のたまものである。

(2006.09.25)