コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
魂の叫び

 7年前に夫が急逝した。逝去する2日前に、思い出話をしみじみとした声音で語りつづ...

 7年前に夫が急逝した。逝去する2日前に、思い出話をしみじみとした声音で語りつづけていたが、ふと視線を遠くに投げかけながら「おばあちゃんには悪いことをした」とつぶやくように言った。
 「おばあちゃん」とは、夫の母、私には義母にあたる人である。26年間、一緒に暮らしたが、はじめてあったとき、「私のことを舌を噛むような言い方でお姑さまと呼ばないでね」と言った。戦前生まれのわたくしは、家制度下の呼称に縛られていたからだろう。「お姑ちゃん」「お姑さん」「お姑上」と口の中でもごもごと呼称を呼び変えてみても、「姑」の一字から免れることができなかった。分からなければ正面きって聞くに限る。「何とお呼びしたら気分すっきりでしょうか」と真顔で尋ねると、夫の母はちょっと顔を赤らめながら「わたしの名前はすずというの」と答えた。夫の家にはじめていったときも、夫をはじめ家族のだれかれが「おばあちゃま」「おばあちゃま」と連呼していた。まだ20代そこそこのわたくしは何の疑いもなく、夫の母が生まれたときから「おばあちゃま」なのだと思い込んでいた。とんでもない。「おばあちゃま」はすずという名前を持ち、多分小さいときは「スーちゃん」と呼ばれていたのだろう。
 「17歳で長男を産んで以来、一斉コーラス『お母さん』。孫が生まれたらとたんに『おばあちゃま』。40年余役割の呼称だけで呼ばれつづけてきたおかげで、自分がすずという名前をもっていることも忘れがちになってしまった。またあなたに『お姑さま』と役割の呼称で呼ばれたら、いい姑にならなくてはとつい世間様を気にしていじいじ暮らしてしまう。伸びやかに生きることができないと無意識のうちにあなたにも、嫁は嫁らしくと小さな枠の中に追い込んでしまうことになる。人生の持ち時間が少なくなってきているから、これからは懐の大きい先輩として生きたいの」と恥ずかしげに言った後、夫の母はもう一度「わたくしの名はすずというの」と繰り返していった。
 「ああ、夫の母は自分の名前、いや自分の固有の人生を取り戻したがっているのだ」と気づいたとき、ためらいなく「すずさん」という呼び方が口をついて出てきた。以来26年間「すずさん」「てこちゃん」と呼び合い、人生の先輩、後輩という関係を紡いできた。自分がされていやだと思ったことは、後輩には絶対にしないという鉄則を貫いたよき先輩からどれだけ豊かな年の重ね方を学ばされたことだろう。
 夫の母は人生50年時代に12回身ごもり、9人の男の子を生み育てた。夫は9人の男の子の末っ子だった。死産した3人の子どもも男の子だった。あるとき「すずさん」は末っ子の夫にポツリと「おなかの軽いときが欲しかった」と心のうちを打ちあけるように言った。
 「『わたくしは生む道具ではなく、女という性を持った人間。やりたいこともあれば、やりたいことを可能にする能力もあったのに、その能力を花開かせる機会を奪われ、たんに生む道具として生かされてしまった』というそれはおばあちゃんの魂の叫びだったのに、男は強い兵士、女は強い兵士を生む道具と規定した軍国時代に生まれ育った僕は、おばあちゃんの生き方は女としてあたりまえと考えていたため、魂の叫びを聞き漏らしてしまった。申し訳の無いことをした」といった後、夫の目じりからつつっと涙がひとすじ零れ落ちた。
 「女は産む道具」という柳沢厚生労働大臣の言葉をテレビで聞いたとき、目じりを伝わって落ちた夫の涙を思い出していた。「妻が12たびも身ごもっていたことをおじいちゃまはどう捉えていたのだろう。あんまり夫が鈍感すぎて怖すぎる」といった看護師の娘の言葉も。

(2007.02.20)