コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
長生きの恩恵はたっぷり頂戴しなくちゃ

 7月27日、78歳の誕生日を迎えた。人生50年時代の両親に育てられたわたくしは、まさかわたくし自身が78歳まで生きるなんて想像だにしていなかった。でも喜寿を迎えさらにそれをこえた今、人生百年時代の主役たる自分にぴょこぴょこ気分である。だって考えてくださいな。人生50年時代のおんなのひとって、子生みと子育てに明け暮れて、自分の固有の能力、才能の豊かさに気がつくことなく死んでいったのですもの。

 7月27日、78歳の誕生日を迎えた。人生50年時代の両親に育てられたわたくしは、まさかわたくし自身が78歳まで生きるなんて想像だにしていなかった。でも喜寿を迎えさらにそれをこえた今、人生百年時代の主役たる自分にぴょこぴょこ気分である。だって考えてくださいな。人生50年時代のおんなのひとって、子生みと子育てに明け暮れて、自分の固有の能力、才能の豊かさに気がつくことなく死んでいったのですもの。
 わたくしの夫の母は十二たび身ごもって、9人の男の子を産み育てたんですよ。夫は末っ子で「治める」という字が名前につけられていた。
 母はしょっちゅう言いましたっけ。「輝子さんみたいにお腹が軽いときが欲しかった」「わたしには子供を産むことしか出来なかった」って。
 わたくしは末っ子の妻ですが、義母とは相性で26年間いっしょに暮らしたんですよ。自分はさんざん姑にいじめられたのに、自分が悲しく嫌と思ったことは後輩にはしないと言うことを実践した義母から、女が女に優しくある生き方をズシンと教えられたものである。 その義母をみていると「子供を産むことしかできなかった」のではなく、たわわな個別的な能力才能に恵まれていたのに、その才能、能力を花開かせる機会に恵まれなかったのだと身をもって教えられたおかげで、わたくしは長生きの恩恵をたっぷり頂戴しながら年を重ね続けている。
                                      ◇                                ◇
 以前にも書いたかもしれないが、わたくしは64歳で俳句を始め、69歳で合唱団に入って歌手デビュー。73歳でミュージックベルの奏者たらんと志して猛特訓。おかげでコンサートで一人ぶりをご披露するところまでいっちゃったんです。喜寿を迎えたときは「よくぞ生きましたな」と自分の頭を撫でなでしながら絵本作家としてデビュー。ついでに筆禅道という書道をはじめたんです。
 師は稲田盛穂さん。実はね、彼女は三十年あまり前わたくしが国分寺市で十回の講座を担当していた時の生徒さんでね。この時わたくし繰り返しいったんです。
 「人生長くなったら自己表現の手だてをしっかり身につけることが大切よ。百歳になっても表現する自己を持った存在だと自他ともに認めて生きられたら背筋がピンシャン伸びること請け合いよ」って。
 彼女は当時からお習字を習っていたらしいんだけど、それを機に本格的に書道に励んでね、二年前三十周年記念の師弟の展覧会を開いたの。見に行って腰ぬかしちゃった。だって展示されているお習字の一枚一枚から息づかいが聞こえてきたのですもの。
 パーティで挨拶頼まれたとき、わたくし宣言したのです。「今日から盛穂先生の門下生になりますって」。わたくしは性来怠け者だから何かを始めるときは大宣伝しちゃうんです。「やるぞ」「やるぞ」って。人との約束でしっかり縛ると、やらなくちゃ世間様に顔向けできないって本気に打ち込んでいく。いつもそうやって六十の手習い、七十の手習い、ひょっとすると百歳の手習いまでいっちゃうかもしれない。
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 来年の三月、また師弟の展覧会がある。それに出品するために、目下書道に邁進中なんですよ。一枚書いちゃ「わたくしってまんざらじゃないや」って胸をぐいと突き出してね。そのたびごとにしみじみ思うんです。人生百年時代ってその気になれば「わたしってまんざらじゃないわ」って自己肯定できる素晴らしい恩恵を与えられてるって。
 ねぇ。ノーベル賞をもらった科学者の女性ってユダヤ系アメリカ人で、なんと百歳なのよ。長生きの恩恵をたっぷり享受して、彼女のようにディグニティのある高齢者になりましょうよ。
 「今度」「今度」ではなく、「やりますぞ」「やりますぞ」とチンドン屋のように派手はでしく宣伝しまくるのが、新しいことをはじめるコツであることをお忘れなきように。

(2009.07.30)