人生50年から人生100年、沢山生きると、どうしても良き人を見送る機会が多くなってきます。実は、評論家の俵萌子さんと、わたくしと、やはり評論家の樋口恵子さんは三人娘と言われ、2年前のNHKの新春番組「三人娘・大いに七十代を語る」にも出演しましたっけ。俵萌子さんは長女。わたくしは次女。そして樋口恵子さんは三女。みんなそれぞれ一つ違いなのに、何と去年の11月、俵萌子さんがあっけなくこの世を去ってしまいました。あらためて長く生きる事は、良き人の死を見送りながら生きる事なのだという事を、痛感させられたものです。
怖いのは、何度も死を見送っているうちに、人の死に対して無感動になる事。それは、生きる事の喜ばしさを失い、生きる事そのものが無感動になってしまう事なんです。俵萌子さんが亡くなった時に、ぽっかりと心に穴が空いて、人を失う事の欠落感に悩まされたものでした。
実はすでに2年前から、人間貧乏にならないために、月命日にお花を送っている人が、何人かいるのです。
映画監督の熊井啓さんが亡くなった後、シェイクスピアなどのすばらしいエッセイを書いておられる熊井明子さんに、月命日にアレンジメントの花を届けてもらっています。必ず絵入りの葉書が送られてきます。わが家には猫が7匹いますが、熊井明子さんも大の猫好き。葉書の中には「猫大好き」の思いが面々と綴られていて、やさしく、やさしく心の中にしみ込んでいきます。
わたくしがサハリンの残留日本女性の取材に行った時、金成良克さんと、妻の清子さんが同行してくれました。その良克さんが一昨年の12月24日、クリスマスイブに教会で、ハレルヤコーラスの指揮を行っている最中に、心臓麻痺で突然死をとげてしまわれました。
24日には必ず、一人になってしまった清子さんに、アレンジメントの花を贈ることにしているのです。そのたびごとにファックスで、突然夫を失った悲しみを、しみじみと書いて送ってきます。それをいただくと、わたくしから電話をし、しばらくサハリンに行った事、韓国に行った事の思い出を語り合うのです。
全部の人に花を贈っていたら破産してしまう。だから月命日に間に合うように美しい花の絵はがきを送り、ご冥福をいのり、妻に「いい友だちでいて下さいね」って書いて送るんです。
するとね、必ず「夫の月命日を覚えていて下さる方がいるのが嬉しい。どうぞおつきあいを」との手紙や電話が来るんです。これって、人間貧乏にならない最上の方法なのではないかしら。
人の死に胸ふるわせる瑞々しさを持ち続けていれば、人の死に無関心になることもないし、結果的には、自分自身の生きる事に無関心にはならない。ということは人間貧乏のどん底に、追い込まれる事は決して無いでしょう。
私は80になっても、90になっても、100になっても人間貧乏にならないために、人の死に瑞々しい悲しみと欠落感をいだき、亡くなった方の伴侶と良き交わりを持つ事に、全力を上げていきたいと願っています。それは幾つになっても、生きる事に喜ばしさを感じる原動力になるのですもの。JA女性のみなさま、どうか、どうか人間貧乏にならないために、亡くなった方の伴侶と良き関わりを持って下さいね。年を重ねても、生きる事の喜ばしさを失わないためには、無くした物を補う努力を、ないがしろにしないで欲しいとひたすら願っていますよ。