わたくしには、今年47歳になるあずさというひとり娘がいるんです。職業は看護師。Ｔ総合病院に勤めて25年。精神科と緩和ケアセンターの看護師長を兼任、ベストセラー作家でもありました。
　でもね、本人は物書きになるか看護師になるかと選択を迫られたら、躊躇無く看護師をと言い切るぐらい。介護の仕事が好きで好きでたまらないらしいんです。
　ある時言いましたっけ「人の役に立っているという実感が持てる仕事はざらにない」って。
　20年前に高校時代の同級生と結婚したのですが、子供より看護師の仕事を選んだんですよね。

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　それほど好きだった看護師を昨年の暮れに辞めたんです。電話で「輝子さん、わたし辞表出しちゃった」とあずさが言ったときは腰が抜けそうになってしまいました。よくよく話を聞いて、まさにでかしたわが娘の心境でしたよ。
　日本の医療制度はどんどんアメリカ型になっていてね。あずさの病院もいかに赤字を出さないかが重大な課題になってしまって、看護師の残業代を払わないようにとの指示が出たんですよ。
　でもあずさは女の労働を女が搾取することがどうしても納得できず、部下の残業を全部認める措置を執ったら、看護部長から呼び出されてきゅうきゅうの目に遭わされたらしいんですね。
　以前から決められた保守政党への一票が義務づけられていて、あずさは憲法で保障されている思想信条を踏みにじる行為は出来ないと前から怒っていましたが、諸々が一気に爆発して退職届けを出しちゃったみたい。

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　わたくしはね、本人が決断を下したことに対しては、むしろやれやれって背中押すことにしているんです。だからあずさに言ったんです。「あなたがやったことは正しい。だけどね、看護部長と喧嘩して辞めたってことになると不満もっている人が芋づる式に辞めちゃう怖れがある。だからもうちょっとかっこいい理由考えなさいよ」って言ったら、３日後に電話がかかってきてね「大学の看護科のドクターコースに進学するから辞めるってことにした」って言うじゃないですか。
　あずさ夫妻は通信お宅でね、あずさは大学中退なのに、いろんな通信教育で学んでね、いつのまにか修士課程をとっちゃっていたんですよ。

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　あちこち調べたら昔の大先輩の看護師長が東京女子医大の看護科の教授になっているのを見つけてね、進学のお願いをしたら英語がパスしたらと快く引き受けてくださったのですよ。で「大学進学のための退職」と言うことになったのですが、丸三月のあずさの英語の勉強振りは涙ぐましいものがありましたよ。兎も角無合格し、３年間で規定の単位を取り卒論を書きあげるハードな日々に明け暮れているんですよ。
　その上、３年後には前の現場に戻るつもりなので、カンが鈍ってはいけないって、何と神経科の訪問介護のアルバイトも励んでいるんです。雨の日はカッパ着て自転車で６軒近くの家庭を訪問しているんですよ。論文はサルトル、カミュの実存主義と介護。山のように本読んで書き抜きしている姿を見るとしみじみ思うんですよ。女も大志を抱かなくっちゃって。
　ねぇＪＡの女性のみなさま「わたくし如きが」は禁句にして大志を抱きましょうよ。