このところ東京も連日のように地震がある。わたくしは昨年慢性白血病で3か月近く入院をした。生き死にのせめぎあいが続いたため、呼吸器障害が進行し、24時間酸素ボンベの助けを借りなければならなくなってしまった。
外出時は携帯用の酸素ボンベを使うが、家にいるときは、部屋の隅に大きな酸素ポンプが置かれていて、普通の空気をリサイクルし濃縮した酸素を取り付けてあるビニールの管を通して鼻から肺に送り込んでくれる。この原稿も酸素ポンプから送られてくる酸素のビニールの管に肺をゆだねて書いている。酸素ポンプは電力で、携帯用は乾電池で。
ほとんど一人でいるときが多いので、地震が起きたときは酸素ポンプのビニールの管に縛られているため、外に敏速に逃げ出すことができない。停電したら酸素が外に送られてこなくなるので窒息死する危険性がある。傍に携帯用の酸素ボンベを置いてはいるが、気が転倒しているので酸素を出して酸素の量を設定して、酸素ポンプの管から、酸素ボンベの管に迅速に差し替えることができない。
地震が続いている間中「助けて助けて」と泣いているわたくしがいる。
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杉並区では登録しておくと、高齢者や身障者や病人など一人暮らしの「災害弱者」の安否を確認しに来てくれることになっているが、地震の後の何時間後なので、恐怖のおののきからは解放されないが、でも見捨てられていないという思いが、恐怖のおののきの中に埋没されずに済む。
昨今都会は一人暮らしの高齢者が増えているので、区のほうがアンケート調査を行って、その回答結果から導き出したのが「災害弱者」を見捨てない仕組み作りだった。つまり地域の支えあいの仕組みである。
杉並区は南相馬市と姉妹都市関係を結んでいるので災害後、どこよりも早く区長が率先して食料品などを運んだり、少し離れたところにある杉並区の保養所に区長と職員がマイクロバスに乗って100人近い災害者を受け入れたりしてきた。こうした動きはすべて区民の要望を区が受け入れた結果だった。
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市来とも子という33歳になったばかりの若い女性の区議がいるが、学生時代にNGOの一人としてアジア20か国を回って歩いた。
どんなに貧しい国の人たちであっても、互いに暖かく支えあって生きている姿を目の当たりにして、区議になったらこれまで以上に杉並区を温かく支えあって生きる地域にしたいと今全力を挙げている。
ねぇJAの女性のみなさん。高齢者になれば誰もが「災害弱者」になる。だから英知の限りを尽くして温かく支えあって生きる地域づくりの主役になりましょうよ。わたくしはありがたいことに、鍵を預けてある地域家族がいるのでぐらりと来ると飛んできてくれる。まさに地域の支えあいあってのわたくしの毎日である。助け合いの地域を作っていくためには、まず誰かがではなく、わたくしが先行させなくては。