最近「誰それの娘ですが」とか「だれだれの息子ですが」という前置付の電話が頻繁にかかってくる。その後に友人である母親の訃報が続くので、「だれそれの」という前触れの電話がかかってくると、受話器を持つ手がガチガチに固まってしまう。
つい先ごろ、「Kの息子ですが」という前置付の電話がかかってきた。
Kさんとは40年来の運動仲間。1945年「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」が結成されたが、2人で事務局に泊まり込んで様々な集会の宣言文を書いたりしたものである。「僕食べる人 私作る人」のハウス食品のコマーシャルが、性別文化を助長させると、座り込みで抗議し、ついに放映を中止させた時も座り込みの隣にKさんが座っていた。
どちらも一つの運動体に参加したときは抜けるのは、最後という律義さで押し通してきたので、グイグイと信頼感で結ばれていったのだろう。
ただしわたくしも酸素ボンベのお世話になっている病気のデパートのオーナーだが、Kさんも心臓が悪く入退院を繰り返していた。一昨年お連れ合いが生死の間をさまよい、無事生還したが、その後の介護でかなり体を酷使していた。
でも緊張感があったからだろう、心臓のほうはかなり頑強だった。介護であまり外出できなくなってからは、毎日のように電話をかけあってお互いを励ましあったものである。
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今年の2月18日にわたくしの7回目の出版パーティが行われた時も、わざわざ出席してくれて「行動する会」の仲間と一緒にスピーチをしてくれた。
「Kの息子ですが」との前置があったときは、そのまま時が止まってほしいと心から願っているわたくしがいた。
しかし容赦なく「Kが今朝7時半に心不全で亡くなりました。前の晩、急に苦しんで救急車で病院に運んだのですが、残念な結果になりました。母は前から自分が死んだときは、吉武さんに連絡するように言っていました。ほかの方への連絡よろしくお願いします」と短く言って電話が切れた。通夜や告別式それに供華などの連絡を始めたが相手が出てくると「Kさんが亡くなったの」といったとたんにむせび泣いて後の言葉が続かない。ありがたいことにみな運動仲間なので「吉武さん、場所と日時と供華の電話番号を教えてくれたらみんなで手分けして連絡するから。あまり悲しんで体壊したら彼女喜ばないわよ」と後輩にいさめられ、これはと思うところ20軒ばかりに連絡した。
通夜の当日たくさんの友人と出会った。「これからは楽しいことよりも、悲しいことで出会う機会が増えてくる。ねぇこれからは長生きが友情の証よ」と誰かれがいい、いつの間にか指切りげんまんをしていた。人生が長くなれば知人友人を見送る機会が増えてくる。
JAの女性のみなさん、長生きの時代だからこそ長生きは友情の証なんですよ。長生きしなくては時代の変化もわからない。ねぇ、指切りげんまんしましょうよ。「長生きは友情の証よ」って。わたくしみんなとげんまんしてしまう。そして100歳までは断固生きていくつもり。