わたくしが敗戦を迎えたのは14歳の時。軍国主義から一気に民主主義にかわったため、少国民を育てる修身の本や皇国史観の歴史教科書は、当時はもののない貧しい時代だったので、民主主義に反する部分は墨で消すことからスタートした。
修身も歴史も、ニックネーム「ねずみ」と称されていた、岡本先生という年配の女性の教師だった。
誰もいないと思って廊下を小走りしていると本当にどこからとなくチョロリと現れて「女性の美徳」についてこんこんと諭すので、いつの間にか「ねずみ」というニックネームがつけられてしまったのである。
気の毒なことに修身と歴史の教科書は、墨で消す部分が多く、時には何ページにもわたって真っ黒になってしまうこともあった。
「済みませんが何頁の何行目から何頁の何行目まで消してくださいね」と、本当に絶え入るような声で言い続けてきたが、あるとき「何頁の何行目」といった後、しばらく沈黙が続いた。どうしたのかしらと顔を挙げて、岡本先生の顔を見ると滂沱と涙を流して
「みなさん、批判なき真面目さは悪をなすことをしみじみと感じさせられました。どのくらい生きたいと思う若者たちを死においやることに手を貸したか」と涙でとぎれとぎれに言ったではないか。
それから1週間後、岡本先生は
「これ以上教師をつづけていれません」と言われた。岐阜に帰られる先生を、まだ焼けただれた東京駅に何人かの友人と見送りに行った。
窓から人が出入りしていた時代だった。
走って、走ってやっと岡本先生の姿を見つけたとき列車が動き出した。
岡本先生は窓から身を乗り出して
「批判なき真面目さは悪をなすことを忘れないで」と何回も何回も声を振り絞って叫び続けた。
考えたら「原発は安全、生活をあかるくする」という言葉を真面目に信じて、それこそ「批判なき真面目さは悪をなす」の見本を生きてきたため、次の世代に命の守れる社会を引き継がせることができなくなってしまった。
ねえJAのみなさん、若い世代に命の守れる社会をなんとしても引き渡していくために、少し国のいうことに疑いを抱いて、しっかり自分の頭で考えましょうよ。
わたくし長年反原発運動を続けてきたのに、気が付いたら、原発に何一つ疑いを持たない人たちと同じ暮らしを享受していたではありませんか。
夏は暑い、冬は寒い。自然と共存した暮らしぶりを作り上げていきましょうよ。