JA広報誌便り

JA広報誌便り

一覧に戻る

【「Jam」 8月号 (福岡県)】
減農薬米づくりの軌跡  JA福岡市

 8月号で創刊500号を迎えた「Jam」。その特別企画として減農薬米に取り組んできた軌跡を特集している。

「Jam」8月号 昭和56年から全国でも先進的に減農薬栽培の先頭に立ったのは「百姓の健康のために農薬を減らす」と研究を行っていた宇根豊さん。女性農家グループ「ときわ会」をはじめとした農家の人へ研究の成果を指導しはじめた。
 減農薬に大きく貢献したのは「虫見板」という稲についた虫を観察する簡易道具だった。水際に虫見板を当てて稲株を数回たたき、落ちてきた虫から農薬散布の必要性を判断する方法だ。「田んぼの虫を見て適当な量の農薬を使わなくてはだめ」と同JAの稲作農家3000人に虫見板が配られた。減農薬栽培が広まる大きな要因は昭和60年に秋ウンカが大発生したときだ。農薬散布回数が県平均13回に対し同JAは4回だったが、虫見板による判断で被害率は県下の30%に対して0.3%だった。
 宇根さんは自慢の減農薬米の産直にも力をいれ、昭和60年から正式に地元生協と取引が実現。「赤とんぼ米」と名付けられたブランド米が誕生した。
 今でいう地産地消の先駆けを果たした。

(2009.08.13)