「無人ヘリコプター(以下、「無人ヘリ」)による防除への期待と普及は、まさに時代の要請だったと思います。そして、(当時の)経済連やJA、生産者など、多くの方々のご協力とご理解があったからこそ、ここまで無人ヘリ事業が育ち、成長、そして躍進してきたのだと思います」と、極めて心あたたまる、包容力のある発言をした。ヤマハ無人ヘリが20周年を迎えてのひとこま。氏が、無人ヘリの普及拡大を確信したのは、「昭和63年に、千葉県の牛久で行われた農水省のテスト飛行を肌で生身に感じた」ことだった。その後、無人ヘリが水稲防除の基軸的地位を占めていったのは、歴史的な事実。一方で氏は、無人ヘリによる防除の普及拡大や社会的認知度の高まりを意識するも、「気を引き締めなければならないのは安全飛行」との揺るぎない認識だった。農業後継者問題などが問われる中、担い手育成や農村の活性化に無人ヘリはどう貢献していくのかがこれからの課題だろう。