JA中野市は、昭和39年に合併し当時としては珍しい1行政1農協として誕生した。合併して46年、めざす姿は「つくる農協から売る農協へ」で一貫している。
過去にリンゴ、エノキダケ、巨峰、アスパラガスと、次々と新作物を導入しては常に日本一の産地を構築してきた。しかし平成元年に200億円あった農産物販売高は、15年には158億円にまで落ち込んだ。なんとかしてもう1度、JAの販売高を復活させようと『200億円販売再構築』をスローガンに、「組合員とともにJAへの結集力を高める」ことで販売力を強化しようと取り組んだ。
基本方針は「単品大量生産による『量は力』の販売から、キノコと園芸品を2本の柱として多彩な品目の組み合わせによる『総合』販売への切り替え」だ。「単品で突出した生産はいつか必ず売れなくなる」からだ。
運動の推進で21年には販売高205億円を達成。さらに23年には288億円にまで高めようと高い目標を掲げている。