全国に先駆けて「村全体のブランド化」を実現させた馬路村も「当初は都会の物産展での販売は不振。本当に下積み時代だった。でも当時のトップががまんして現場職員に任せたのがよかったんだと思います」。信用事業担当だったこともあって、当時「金庫番」とだったという平野常務は語る。
ゼロからスタートしたユズの加工販売がこれだけ成長し、雇用も生んできた背景を伝えていきたいとの思いで職員の育成にも関わっている。女性の力が生かされた「ブランド化」だ。
馬路村で生まれ、村を離れたのは高卒後の1年間だけ。平成16年から信用事業担当の常務となり「この村の農家組合員が何で生きていくか、農協はそのために何をすればいいのか」そこに最初からずっと関わり続けてきた。
全国に先駆けて「村全体のブランド化」を実現させた馬路村も「当初は都会の物産展での販売は不振。本当に下積み時代だった。でも当時のトップががまんして現場職員に任せたのがよかったんだと思います」。信用事業担当だったこともあって、当時「金庫番」とだったという平野常務は語る。
ゼロからスタートしたユズの加工販売がこれだけ成長し、雇用も生んできた背景を伝えていきたいとの思いで職員の育成にも関わっている。女性の力が生かされた「ブランド化」だ。
(2011.02.15)