リンゴ、モモなどの果樹栽培農家の跡継ぎだった阿藤氏。「昭和30年代後半は高卒初任給が8500円くらいだったが、農業収入は一日の売り上げが1万円くらいだと聞き、半年余りで会社を辞め、農業を継ぐことにした」。
就農後は、当時あまり知られていなかったエノキダケの研究会を有志でつくるほか、大型ハウスをつくってシャクナゲの栽培を始めるなど、常に新しい挑戦を続けてきた。
新たな産地づくりは、「最初に挑戦した先覚者がいて、それに技術指導や販売面でJAがかかわっていく」。農業を主とする組合員がいて、それをサポートするかたちでJAがあるので、「自分たちがつくった農協だ、という意識を強く持っている」のだという。
JAの役割は、「農業の生産基盤と経営能力を含めた、農家の経営基盤をセットで考え、強化すること」であり、そのためにあるのが「指導・経済事業」だ。「JAの基本は農業振興、これに尽きる」と強調する。