園芸・果樹で複合産地
昭和38年県立大曲農業高校を卒業後、長男でもあり、何の考えもなく就農しました。時代背景として昭和36年に施行された農業基本法制定がありました。高校2年の時に出た農基法のなかで大きな柱があったと記憶しています。
一つは、選択的規模拡大、二つ目は自立経営農家の育成でした。自分の家の経営が、3.5haほどの稲作とぶどう園30a。これに稲作での農基法指針である面積要件3ha以上にピッタリでしたので、すんなり稲作に専念しました。当時は池田首相の掲げた所得倍増ムード。特に主食である米不足時代でしたので増産奨励でした。
この時代から機械化が叫ばれ、毎年上昇する政府米価格の後押しもあり、農耕馬に変わり耕運機が入り、バインダー、ハーベスタをこぞって導入する時代でした。手作業から近代農業への移り変わりの、まさに大変革の時代でした。
◆現場で実践し、政策の要求を
米価、労働賃金が年に13%も上昇した時代でもあり、青年部員として農水省の分庁舎に毎年、田植えが終わると米価運動に仲間と参加しました。しかし、米余り時代に入り、昭和45年には減反政策が始まりました。その頃は消費者や食管赤字等は何も考えず減反政策への反対運動もしました。
昭和44年に自主流通米制度が導入され、作れば国には再生産価格を補償して買ってもらえた政府米時代から、生産費とは無関係に需要に応じた価格形成となり、食の多様化、少子高齢化もあり米消費減退で減反は増え続けました。また平成7年には食管制度も廃止になり、今日に至ります。
私は青年部時代、農協にも行政にも不信感で一杯でした。しかし、口ばかりでなく実践して批判しなければ農業政策も変わらないということを、青年部運動を通じて自分の考えの基本として持つことができました。農協運動にかかわる我が原点です。「生産なくして農協なし」の思いはここにあります。
◆技術平準化し、特産の産地化
平成10年に8農協が合併し、理事を2年経験した後、秋田ふるさと農協の営農経済担当専務に就任しました。合併時スローガンの「全国に誇れる100億円複合産地の形成」に向け、11年4月から管内の地域特性を生かしながら、合併前の各農協の特産作目である横手市のアスパラガス、雄物川町のスイカ、平鹿町の菌床しいたけ、十文字町の花卉等の面積拡大、生産技術の平準化、出荷量の確保と進めました。
その結果、転作作物を含む園芸・果樹の販売高は平成25年度で62億円、県内の系統出荷の35%ほどになり、米を合わせると200億円まであと一歩のところまでとなっています。
平成21年行政の支援で、単一JAとしては全国的にも珍しい農産物総合分析センターを開設しました。この施設で、[1]米のカドミウム分析、[2]残留農薬分析、[3]菌床しいたけ等の水質検査、[4]加工品等の衛生検査、[5]土壌分析と診断、[6]米の玄米品質と食味分析を実施し、「お米通信簿」として全出荷者に配布し、次年度に向けたおいしい米づくりの改善ポイントにしています。
(写真)
消費者の農作業体験
◆先人の労に報いてこそ
一方、高齢者福祉検討委員会を行政や県中央会、厚生連平鹿総合病院院長らと立ち上げたのが専務時代の平成11年。この頃、県中央会によるヘルパー養成が盛んで、当JAも女性部でヘルパー養成に取り組み、100人ほどの資格者で、最初は訪問介護事業に取り組みました。その後は福祉レンタル、15年には通所介護事業所「デイサービスセンターだいごの里」を開所。19年にはショートステイ施設「ほほえみ醍醐」をスタートさせました。
今まで頑張ってこられた地域の方々を支援することは、地域に根ざす組織として一番大事な事業であり、これら福祉事業の赤字はよくありませんが、黒字にならなくてもいいと考えております。
最後に、当JAは女性の役員登用を県内で先駆けて実施しました。女性の役員登用で一番の問題は、行政や県連指導で取り組むのは長続きしないとの考えと農業に従事する5割以上が女性、特に全国に誇れる複合産地を目指すうえで女性は必要不可欠な存在ですし、地域貢献としての食育活動、福祉事業も含めJA運営に女性参画してもらわなければならないという思いが強かったからです。
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女性のJA運営に対する意識は、人によって温度差があり、全国家の光大会等、どんどん外に出て勉強もしていただきたい。また、女性部活動や福祉、健康増進なり食農教育等にも積極的に参画し、真に時代に沿った誇れる「おらが農協」構築への提言をもっと発信していただきたい。一方、我々は地域女性の思いや考えを汲みあげるJA運営を忘れてはならない。
【推薦の言葉】
園芸で周年農業実現
高橋氏は、JAすいか部会の部会長として、自ら生産現場で先頭に立ち、地域の複合経営を牽引した。JA役員としても、一貫して地域の複合経営を進め、野菜・果樹・花・キノコ等の生産振興に尽力し、秋田県内トップの複合産地形成に貢献した。また、担い手の経営安定を図るため、JA内の指導体制を強化し、生産・販売・経営面での全面的なサポートを実施している。この分野では特に、組合長直轄の専任部署を設け、スピード感のある対応に努め、担い手の信頼が厚い。
「組合員みんながよくなるように」という思いで農業振興に取り組む姿勢は、組合員に生産意欲と活力を与え、リーダーとして人望を得ている。特に積雪地帯の周年農業実現のための大規模ハウス団地、また集落内外の複合経営を目指す農家が通うアパート団地を備えた21ha露地型野菜団地を建設。ユニークな発想とともに、この転作団地は、現在、県が進めている県内7か所の「園芸メガ団地」のモデルとなっている。
【略歴】
たかはし・けいてん
昭和20年秋田県生まれ。
38年3月県立大曲農業高校卒、同年就農、56年平鹿町議会議員就任、平成9年平鹿町農業協同組合理事、10年秋田ふるさと農業協同組合理事、14年同理事専務、20年同代表理事副組合長、21年同代表理事組合長に就任。現在に至る。