今こそJA綱領実践を
昭和44年当時、広島県内の農協数は190近く、規模も小さく、飛躍的に拡大する畜産事業等については、経済連が主導し対応していました。幹部職員の多くは、経済連再建時代(昭和29〜34年)を経験された方が多く、筋金入りの農協人で、特に若い職員に対しては、ロッヂデール原則など協同組合精神や農協運動について繰り返し教えられたことを思い出します。会内における独自の職員綱領「われらの誓い」の一節に「われわれ従業員一同は、一致団結し“農家農協の繁栄なくして経済連の繁栄なし”という基本的理念に徹し農協組織の健全な発展に努力する」とあり、集会等で唱和をしていました。
いま、JAグループには統一したJA綱領があり、記載されていることを愚直に実践しようという取り組みこそが、JA運動の基本であると思います。JA広島北部では全職員がこの綱領を覚え、毎朝の朝礼や、理事会や支店別の組合員を対象とした会議などの冒頭でも必ず唱和するように努めています。
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JA広島北部本店
◆水田利用再編、中央会で指導
経済連では、飼料・燃料・営農・米穀事業などに携わり、県中央会・県農業会議へも出向しました。中央会へは「水田利用再編対策」が始まった翌年の昭和54年から5年間です。当時は米から他の土地利用型作物へ計画的に転換させることが課題となっており、企画営農が出来る農協営農指導体制の強化が求められていました。私の仕事は新しく出来た営農指導担当者協議会の事務局を勤めながら、各農協毎に営農振興計画の策定推進でした。
全中では「生産・販売計画を全国段階まで積み上げ、これに基づき重点作物の需給調整をする」という構想が出され、当時109の農協がありましたが、そのすべてに推進をしました。地域農業の構造改革が喫緊の課題となっている今日、JAの地域農業振興計画策定・実践の意義と内容について、もう一度見直さなければならないと考えます。
◆農家とともに“いざGO55”
JA広島北部は、平成17年4月に広域合併構想に基づき近隣2JAが合併して誕生しました。管内は広島県の西北部に位置し過疎・高齢化(高齢化率33%)が進む水田農業が中心の典型的な中山間地です。営農規模は零細で多くは兼業農家です。耕作放棄地も増えており、地域の農地を守るため集落型農業生産法人による集落ぐるみの生産組織づくりが進められてきましたが、若い担い手が減少し、農業生産額も年々落ち込んでいます。
JAとして、「このような状態が続けば農業のみならず、地域そのものが衰退して行く」という危機意識を生産農家と共有しながら、地域農業の再生を目指し、平成21年から第2次中長期営農振興計画を展開しています。
基本的な考えは、第1に過疎化・高齢化の進む地域の活性化として、農業の再生です。
第2は、JAが旗振り役として、生産者のやる気の喚起、生産組織の再構築と育成、さらにJAとして農業振興・販売体制の整備に向けた積極的な資本投下です。
そして、この取り組みは「地域農業再生運動」として、生産者と全役職員あげて進めることを最大のマニュフェストとしました。この計画のサブタイトルとして“いざGO55作戦”は、55は当時40億円の販売高を55億円まで増やすという数値目標で、GOは皆で前進をという思いを込めました。
推進体制として、本店に12名だった営農指導員を全支店に配置し、平成24年には24名まで増員しました。また、JAによる共同集出荷場「元気野菜総合出荷場」や野菜育苗センターや農業機械のレンタル事業も始めました。全職員も、運動への参加意識を持つため野菜を1品栽培する運動へ取り組みました。
新規就農者育成としては、行政と連携し農業技術大学の学費等の支援および卒業後の就農までの研修など、現在10名の支援を行っています。さらに、若い専業的農業者の組織として「ひろほく農考会」を組織し、勉強会的な活動を始め、現在44名に広がっています。彼らの中から、JAによるハウスリース制度により、若い16名の専業農業者が育っています。地域農業の担い手として組織化を進め、平成20年度には営農法人が20法人であったが、今では40法人となり連絡協議会を設立し、法人同士の連携を深めています。
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若い担い手のひろほく農考会
◆地域農業振興旗振役果たす
今後、中山間地農業を考えたとき、われわれJAに課せられた仕事と責務は重大である。地域農業再生のためしっかりとした方針を持ち、新しい時代へ向けて新たな視点で地域の実情に即した担い手育成を進め、しっかりと旗振りをしていけば必ず展望は拓けると確信しています。
【推薦の言葉】
農業振興へ方針明確
香川氏は経済連で主に米穀・営農振興対策に従事し、特に水田利用再編対策では県中央会が新設した営農対策室へ乞われて出向し、地域営農振興計画の策定や生産販売計画の積み上げ実施など、重点事業にひたむきに取り組むとともに、その実践で本県農業の振興に大きく貢献した。さらに、現在の地元JA代表理事組合長として、地域農業振興に向けたリーダーシップ発揮の要諦を築きあげたと言っても過言ではない。
また、JAでは農畜産物の生産振興を行うなかで、作業労力を軽減する共同利用施設などの整備を行い、管内では野菜生産への取り組み機運が高まってきている。氏は、常に地域農業再生に向けた確固たる方針を持ち、新しい時代に向けて新たな視点で地域の実情に即した担い手育成を進め、しっかりと旗振りをしていけば必ず展望は拓けると確信し、そのためには、JAに課せられた仕事と責務の重大さも重く受け止めている。組合員と共に歩んできた農協運動の模範である。
【略歴】
かがわ・ようのすけ
昭和19年生まれ。
44年大阪桃山学院大学経済学部卒業後広島県経済連へ入会。中央会、県農業会議出向。米穀部長・参事を経て11年専務、14年本部長。18年JA広島北部代表理事専務、19年専務。21年JA広島北部代表理事組合長に就任。全農広島県本部運営委員会会長。