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【JAちばみどり元理事、助け合い組織コスモスの会会長】
伊藤 照子 氏

 「農協運動の仲間たちが贈る 第36回農協人文化賞」の福祉事業部門を受賞した。

女性理事で福祉に情熱

 

 昭和30年、就職難のなかでしたが、幸いにも千葉県販購連に入会することができました。当時は、戦後の混乱期で、全てがないないづくしでした。特に食糧不足からの脱却と荒廃した農村の復興が緊急の課題となっていました。始めての仕事は、食糧課に配属され、政府米の売り渡し業務を担当しました。毎日、残業残業の連続が今では懐かしく思い出されます。
 昭和38年、育児と家業の農業を手伝うため、同会を退職しました。8年間の短い期間でしたが、多くの先輩や友人たちとの出会いが、私の歩んできた活動の原点になっています。
 販購連も、経済連、JA全農ちばと名称や組織が変更され、当時、県内に330以上あった農協が、現在21JAになっています。時代の変遷を感じるところです。

 

◆趣味の会から婦人部結成へ

 昭和50年、地元の方々と協力して光町農協婦人部結成に参画したのが、きっかけとなって、婦人部活動に付き合いを深めました。私たちの住む所は典型的な、いわゆる純農村地帯でしたので、昭和35年に発足した区画整理事業が、51年に完成し、大型機械の導入が進むとともに、女性の作業は一変しました。それまで、稲刈り、麦刈り、田植えなどすべて手作業が主流でしたが、それがコンバインや田植機に変わり、栽培する作物の種類も大変多くなりました。
 そのような背景もあって、健康な暮らしを目指して集団検診へ積極的に参加するよう勧めました。また日常、娯楽に恵まれない組合員のために、いくらかでも貢献出来ればと考え、昭和57年に大正琴グループの結成に参画しました。このときの仲間との付き合いは、現在も続いています。
 昔は、どこの家でも同じような作物を作り、作業も共同で実施していましたが、やがて個々の経営形態が変化して、隣近所、地城の皆が集まる機会がほとんどなくなってしまいました。さらに部員の高齢化も進んできました。そこで婦人部として、何か皆が心を一つになれるようなことはないものかと相談した結果、味噌づくりがよいということになり、参加を呼びかけました。
 幸いJAの熱心な職員と、何よりも理事の皆さんの理解を得て、農産物集出荷場の一角に加工場を設けていただきました。最初は減反田で収穫した大豆を活用し、4〜5名の班を編成して、自家用味噌を造りました。この活動は現在も引き継がれており、多くの部員から支持されている証しではないかと思います。

 

◆高齢者支援にコスモスの会

ミニデイサービスで大正琴の演奏 平成4年JAホームヘルパー養成研修を経て、資格取得者17名が、翌年7月、お年寄りが安心して暮らせる地城づくりと、自らの技術向上を目指した助け合いの組織として、「コスモスの会」を結成しました。その後、会員が28名となり、活動してきました。
 当時は、介護や福祉についての認識があまり浸透していなかったので、管内にある老人医療施設、九十九里ホームの「ミス・ヘンテ・ケアセンター」での介護ボランティアに定期的に参加し、入浴サービスや食事のお世話をして、入所者の皆さんに大変喜んでいただきました。
 入所している人たちは、家族と疎遠になることも多く、私たちのような、外からのボランティアは喜ばれるようです。
 平成12年、JAちばみどりが組合員サービスを充実する方向性を打ち出し、福祉事業にとりくむこととなりました。その一環としてミニデイサービスを開始しました。各地域の集落単位に役所の保健師の協力を得て、朝10時に開会して、健康チェツクや自己紹介、保健師さんの健康講話、昼食は太巻き寿司など、会員の工夫したものを提供。大正琴の演奏、伴奏での歌や手芸を楽しんで、おやつを食べて午後3時解散のスケジュールで、地区ごとに順番で取り組んできました。
 どこの会場でも参加者から、「何十年ぶりに声を出して歌うことができた」と、泣いて喜ぶ人もいて感動しました。私たちが取り組んできた福祉事業が、若い資格取得者や、JAの職員の努力によって、訪問介護事業へと発展し、順調に進んでいることは、ありがたいことだと思っています。
 平成17年、JAちばみどりが女性理事の登用を決定した時、女性部の推薦を受けて理事として70歳の定年まで務めさせていただきました。在任中、女性理事の研修会等に参加する機会をいただき、全国のすばらしい活動例などを勉強することができ、貴重な体験をさせていただきました。
 現在は、女性部の福祉委員を務めています。振り返ってみると、忙しいなか、いろいろな行事に協力いただき、支えてくださった皆さんのお陰で、続けてくることができました。ありがたく感謝しております。これからは少しでも、JAや女性部のお役にたてるよう、懸命に努めて行きたいと思っています。

(写真)
ミニデイサービスで大正琴の演奏


【推薦の言葉】

JAの福祉事業リード

 育児と家業の農業を引き継ぐため千葉県経済連を退職し、県経済連での8年間の経験を生かし、地域における協同組合活動に率先して参画し、長年、活動を続けた。光町農協婦人部の結成に参画し、その後光町農協婦人部長として地域における協同組合活動の礎を築いた。
 地元JAの福祉部門の事業化が遅れていたこともあり、伊藤さんは、組合員有志に呼びかけてコスモスの会を結成し、会員の技術取得を目指してボランティア活動を続けてきた。
 コスモスの会の活動にとどまらず、地域社会におけるJA事業の将来を展望し、JAちばみどりの福祉事業への参画に努め、。平成15年JAちばみどりは福祉事業に参画し、「ケアみどり会」を結成するなど、JAの福祉事業の発展をリードしてきた。50年の余の長きにわたり、JAの活動に献身できたのは、当人のJA活動に対する情熱と責任感はもちろんのこと、健康で明るく、分け隔てなく人々を包み込む人柄に負うところが大きい。

【略歴】
いとう・てるこ
昭和11年生まれ。30年千葉県販売購買農協連入会。50年農協婦人部結成に参加、地区役員に就任。58年光町農協婦人部長。60年海上郡匝瑳郡統合海匝地区農協婦人部協議会会長。介護資格3級取得。平成5年介護資格取得者で「コスモスの会」結成、会長に就任。16年「ケア みどり会」会長に就任。平成17年JA千葉みどり理事に就任。20年退任。

(2014.07.08)