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【JA紀南会長、JA和歌山中央会会長】
中家 徹 氏

 「農協運動の仲間たちが贈る 第36回農協人文化賞」の一般文化部門を受賞した。

「米百俵」の精神忘れず


 

 昭和44年9月29日は、“苦肉”(9月29日)の策で、時の全中会長宮脇朝男氏の肝入りで設立した中央協同組合学園の開校入学式であり、私の農協運動の第一歩をふみだした日です。
 その学園生活で宮脇朝男氏の講話を聞く中で、その生きざまに感動し、熱情の師、宮島三男氏はじめ恩師の教導により協同組合運動のすばらしさを実感しました。

 

◆教育体制整え真の運動者を


 その後40有余年、農協運動に身をささげ今日を迎えていますが、その間、さまざまな困難に直面した時、その壁を乗り越える力となったのが中央協同組合学園でたたきこまれた協同組合精神であり、全国のJAグループで頑張る寝食を共にした仲間の姿でした。
 現在は、中央協同組合学園は教育センターと名を改め、本科生教育も廃止されています。JAを取り巻く環境が厳しく、多事多難な今日、「米百俵の精神」を忘れてならず、あらためて真の協同組合運動者の育成を切望してやみません。
 JA紀南に就職し、間もなく農協青年部の事務局を担当することになり、その期間は8年間という長きにわたりました。同年代の農業後継者と酒をくみかわしながら、農業の将来について語り明かしたことが思い出されます。
 当時は当地域の特産物の梅の隆盛期で、後継者も多く、それぞれ元気があり、活気がありました。そして、当時の盟友が次々と中核組合員となり、地域農業の牽引者となる中で、8年間の人脈は私の農協人生の中で大きな力となり財産となりました。今も定期的に集まり農業談議に花を咲かせています。

 

◆みかんファン 親から子供へ

女性会つどい・家の光大会 さまざまな青年部活動に取り組んだ中で、印象に残るのは未来の消費者を育てようと、消費地の小学校に“紀南のみかん”を送り交流する活動をはじめたことです。今もなお、愛知県豊田市の小清水小学校とは続いており、当時小学校で紀南のミカンをもらった方が母親となり、その子どもも小学生になってミカンをもらったと親子二代にわたりJA紀南のみかんのファンになってもらっています。継続は力です。
 バブルが崩壊し、農業を取り巻く環境が激変して先行き不透明になってきた平成5年、長期的な将来ビジョンを組合員に示そうと、10か年の長期計画の策定に着手しました。
 アンケート調査の実施や先進地視察はもとより、地区懇談会を何度も開いて組合員の皆さんの声を聞き、組織の皆さんと徹底的に議論をし、2年余りの歳月をかけて策定したのが、長期計画“レインボー21”でした。
 この計画でJA紀南は、「農業を中心とした地域協同組合」を志向することを明確にし、農業振興はもちろん第一ですが、地域の活性化にJAの果たす役割の大きいことも強調しました。
 また、女性の皆さんから女性の地位向上が強く叫ばれる中、総代はじめJA運営への参画等を強く打ち出し、その後一貫して女性参画の必要性を訴え、「女性に見捨てられたJAに未来はない」と言い続けてきました。教育文化活動の必要性、重要性もこの“レインボー21”が大きな契機となっています。 
 平成15年には9JAが合併して、新生・JA紀南としてスタートし、翌16年から組合長を務めさせていただきましたが、不良債権等、合併に起因する問題が大きく、マイナスからのスタートで、2年目には大幅な赤字決算を余儀なくされました。後ろ向きの仕事が多く、徳川家康ではないが、「重荷を背負うて遠き道を行くがごとし…」の心境でした。
 加えて横領事件など職員の不祥事が相次いで発生し、まさにイバラの道であり針のむしろで、一般企業であれば倒産していたのではと思いますが、協同組合という組織特性からか、組合員の皆さんの御理解もあって、厳しい経営をしいられながらも今日まで歩んで来ることが出来ました。あらためて組織基盤の重要性を認識したところです。

(写真)
女性会つどい・家の光大会

 

◆容認できない農協の“改革”

JA紀南ゆるキャラ うめっぴ&みかっぴ 今日のJAは、三つの危機に直面しています。
一つは、高齢化・担い手不足・過疎化が進む農業・農村の危機であり、二つ目は厳しい経営をしいられているJA経営の危機であり、三つ目が協同組合らしさを喪失しつつある協同組合としての危機であります。
 特に気になるのが、昨今の政府の働きであり、先般も規制改革会議が「農業改革に関する意見」を発表されましたが、JAの果たしている役割や協同組合理念を全く理解されていない到底容認出来ない内容です。農業・農村を守り、発展させるのはJAをおいて他にないと思っています。何としても組合員とともに、このような意見に屈することなく、農協運動に自信と誇りを持って邁進しなければなりません。

(写真)
JA紀南ゆるキャラ うめっぴ&みかっぴ


【推薦の言葉】

組織づくり・運営の人

 中家氏は技術畑ではなく、広い視野に立って農協のあり方を考え続けて、企画管理畑を歩んできた人である。 まず、管理係長として白色申告部会(後に青色申告部会)の立ち上げに取り組み、さらに教育広報係長として青年部・婦人部の事務局を担って精力的に組織づくりに取り組み、係長時代の11年間に組織運営の達人として遺憾なくその才能を発揮。そして1992年に企画管理部長に就き、参事、代表理事専務の10年をかけて南紀州の極端に異なる地域に広がる9JAをまとめ上げて、広域合併を実現させ、支所再編にも取り組んだ。
 こうした組織づくりの人、組織運営の達人としての資質は、ぶれない信条、偉そぶらない性格、粘り強い説得、自らが変わらずに持ち続けてきた農家の心等々によって裏打ちされている。それに何よりも、中央協同組合学園で叩き込まれた強靭な協同組合思想が、組織づくり、組織運営の達人としての氏を支えてきたものとしてある。


【略歴】
なかや・とおる
昭和24年和歌山県田辺市生まれ。47年中央協同組合学園を卒業し、全中嘱託職員。49年紀南農協入組。営農部長、企画管理部長、参事などを経て、平成11年旧JA紀南代表理事専務。16年代表理事組合長。20年JA和歌山中央会・信連・県農副会長、24年からJA和歌山中央会・信連・県農会長。25年からJA紀南会長。

(2014.07.10)