江戸中期の細川家(肥後熊本藩)は、赤字財政で有名だった。江戸に藩邸があるが、細川家がいくら金融を頼んでも業者のほうが逃げまわった。口の悪い江戸っ子たちが、「新しい鍋や釜の鉄製品を買ってくると金気(かなけ)があって臭いし、また煮ても魚や野菜がまずい。しかし、新しい鉄製品に紙を貼って、『細川家』と書くと、たちまち金気が抜ける」というしゃれっ気のある悪口が出るまでになっていた・・・
(続きは 【シリーズ・歴史の転換期にみる人づくり】で)
徳川幕藩体制の熊本肥後藩で、疲弊した藩財政を立て直し、「肥後の鳳凰」と称された6代藩主の細川重賢。その秘訣は教育・人づくりにあった。歴史作家の童門冬二さんが「人づくり」について提言する。
江戸中期の細川家(肥後熊本藩)は、赤字財政で有名だった。江戸に藩邸があるが、細川家がいくら金融を頼んでも業者のほうが逃げまわった。口の悪い江戸っ子たちが、「新しい鍋や釜の鉄製品を買ってくると金気(かなけ)があって臭いし、また煮ても魚や野菜がまずい。しかし、新しい鉄製品に紙を貼って、『細川家』と書くと、たちまち金気が抜ける」というしゃれっ気のある悪口が出るまでになっていた・・・
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(2014.10.15)