農政・農協ニュース

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信念に生きた気鋭のリーダー 前(社)家の光協会専務・山本昌之氏を悼む

‐鈴木俊彦(元『地上』編集長)

去る2月20日、前家の光協会専務の山本昌之氏が糖尿病による心不全で逝去された。享年64。11歳年長の筆者からみて、やはり夭折であり、哀切の極みである。

去る2月20日、前家の光協会専務の山本昌之氏が糖尿病による心不全で逝去された。享年64。11歳年長の筆者からみて、やはり夭折であり、哀切の極みである。
昭和42年4月、山本氏が就職したのは『家の光』編集部編集第1課で、私と同じ農業記事担当の課であった。その後、私が『地上』編集次長の時はスタッフの一員だった。
京大農経卒のエリートだけあって、周囲の職員は必ずしも氏の思考波長に合う存在ではなく、氏は幾分協調性に欠けるものがあった。
しかし、それも若気の至りというもので、その後は確実に人間的成長をみせていく。電波報道部を経て全中に出向し、全婦協(JA女性協)の事務局を担当した昭和55〜56年前後には幅も広がり、『農協婦人活動30年史』という労作も残した。
のち総合企画局長、総務局長と、職員のトップに立つ頃には優れたリーダーシップを発揮する。氏が中国の哲学書『菜根譚』を愛読していたことも、そのあたりを裏付けるものと言える。
協会専務として山本氏の前任だった川口克郎氏は「情に流されず自己の信念を貫いて着々と業績を築いた人だった。特に企画面と管理面に成果を上げ、経営セミナーに通うなど勉強家でもあった」と、山本氏の実績を高く評価している。
また、山本氏と同時期に常務だった小橋三久氏も「新5か年事業経営計画を策定され、教育文化組織活動で種々の刷新を手がけた人です。その疲れで体調を崩したのかも」と山本氏の死を惜しんでいる。
趣味は水彩画、ゴルフ、写経と充実した日々を過ごした山本氏は、今年の1月、体調不良の中でもゴルフに興じていた。1年前に農協特別功労賞を受賞した時 も、昨夏の光友会(家の光OB会)の暑気払いでも、氏は笑顔で病状をサバサバと話していた。ああ仕事に完全燃焼したればこその、この余裕なのかと、感じ 入ったものである。
共済連の今尾和実理事長、農林中金の河野良雄新理事長とは大学同窓。“京大農経コンツェルン”との情報も飛び交った。
昭和43年、若くして氏は実父を失った。郷里の和歌山県紀伊見峠での葬儀に、当時協会大阪支所員だった私は支所を代表して参列した。駅まで徒歩20分。 うっそうたる大木が並ぶ森の道を、成績優秀な山本少年は英単語などを暗記しつつ橋本高校に登校したのだろう、と頬笑ましく思い浮かべたものである。
2年前、神楽坂で春日賢治総務本部長をまじえ“家の光昭和史”などを腹蔵なく語り合った。先々忘れ得ぬ思い出のひと駒となるだろう。
賢夫人洋子さんは元家の光のOL。内助の功多き伴侶だった。謹んで山本昌之氏の御冥福を祈念申し上げたい。

(2009.03.18)